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文学フリマの人気カテゴリのひとつである純文学。 その定義はおそらく多くあって、 あるいはそれは読者の数だけ存在するのかもしれません。 もし純文学の定義を 「ストーリーは皆無でも文章・文体がひたむきに美しいこと」 に与えるとすれば、 この耽美アンソロジー、極めて純度の高い純文学と云えると思います。 とにかく、よく分からない作品が多い。 分かられることを拒む、分かろうとしてはいけないと語りかける。 テーマ"が耽美"ということですから、谷崎潤一郎のような 作品が揃っているかといえば、そうでもない。 これは耽美そのものというより、各人の思う耽美を追いかけようとした アンソロジーなのだと思います。 だから必然的に読者にも投げかけられる。 「耽美ってなんだろう?」 例えば深夜、強めのお酒を減らしながら、 よるべない読後感に浸ることをお勧めします。 | ||
タイトル | 文藝誌オートカクテル2015-耽美- | |
著者 | 文藝誌アンソロジー | |
価格 | 1000円 | |
ジャンル | 純文学 | |
詳細 | 書籍情報 |
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最初から最後まで一気に走り抜けた。 何度も読んだ。 読み直すたびに読む時間はだんだん短くなって いつか読まなくても読んでいることになるのではないか。 読書の一番の妙が「夢中になれること」にあるならば、 読書とはつまり「本になること」なのではないか。 とにかく文章なのだ。 文章に一切淀みがない。 迷いなく書かれたそれは 読者を迷わせることなく奥底へ連れて行ってくれる。 ――たとえそれが入ってはいけない迷宮だったとしても 本作の文章を語るには、冒頭の一文を挙げるだけでよい。 「駅のなかにあるカフェは、凹凸のある厚手のギフト用ボックスで出来ている」 そんなはずはない、と思うところからこの作品は始まる。 そして文章は加速し、過熱し、固体から液体へ、液体から気体へ、 プラズマを越えた最終形態を「こころ」と呼ぶとしたら、それはふるえている。 感動を与えてくれるのはストーリーではなかった、キャラクターでもなかった。 具象を越える圧倒的な抽象だった。 これは事実。しかし個人的であるゆえ幾分か脆弱かもしれない。 ただそれを信じてくれるのだとしたら、この本を読んで欲しい。 この本はそんな人のためにある。 この本は、信じてくれることを望んでいる。 | ||
タイトル | 微笑みと微睡み | |
著者 | 泉由良 | |
価格 | 500円 | |
ジャンル | ファンタジー | |
詳細 | 書籍情報 |