出店者名 白昼社
タイトル 微笑みと微睡み
著者 泉由良
価格 500円
ジャンル ファンタジー
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紹介文
 駅のなかの迷宮のような街のなかに住まい、死や別れ、日々の終わりを過ごすこと無く生きてきた住人たちのひとりの女性はある日、街の外に脱出を試み失敗した友人を喪う。
「この待の秘密が知りたい?」
 酒場で出合った少年が蠱惑的に問う。この街でたったひとりだけ歌を歌える人間、陶子。
街の仕組みが綻び始めてゆく……この本は、何処へ? シュールなファンタジィの夢と目醒め。

 駅のなかにあるカフェは、凹凸のある厚手のギフト用ボックスで出来ている。
 駅自体はこの街で一番大きな建物だ。否、駅のなかに街が造られたのだろうか。もし旅人がそれを誰かに尋ねるとしても、彼は答えを得ることはないだろう。誰もそんなことは気にしない、とくにこの街に──あるいはこの駅に──住む者たちは。過度に装飾的な、硝石と砂と鉄筋で造られている古びた駅の正面から、無数の細道と小さな店──大抵は閉まっているが──の入り組む迷宮に入れる。上手くやればプラットホームに出られるかも知れない。まるで骨董屋の倉庫の一番奥で、売却予約済みの札だけ掛けられたまま忘れ去られたような駅。
 この物語はこの駅のなかの街に始まる。
 紙製のオーディオ・セットが黒いレコードをくるくると回し始め、私は駅のなかのそのカフェでいつものように遅い朝食を摂っていた。トーストとバタ、プリーツレタスとトマトのサラダ、珈琲を一杯、そして果物。この日はキウイ。
 キズナがいってしまった日から何日が経っていたが、実際に何日後だったのかは分からない。
 手風琴を抱えた陶子が、茹で卵と塩の小瓶をのせた皿を持って、私の向かいに座りにきた。陶子は歌手だ。ときどきここのカフェでも歌っている。
「見た?」
 陶子は挨拶をしない。
「お早う。何を?」
「知らないの?」
 陶子はほっそりとした指先で、卵の殻を剥くことに気を取られている。あまりに不器用なので私は手を伸ばしてそれを取り上げ、つるりと剥いてやった。陶子の注文する茹で卵は決まって固茹でだから、剥き易い。
「ごめんね、この指は楽器しか操れないの」陶子は悪びれずに微笑み、話を戻す。
「知らないのね。あれの残骸」
「残骸?」
 私は少しこわばった声になってきき返す。
「なんて云うのかしら、このあいだのあれ。千咲さんのお友だちが乗っていたのでしょう?」
「……気球のことね」
 私は珈琲の残りをのみ干した。
「キズナ、墜ちたの?」
「知らないけどその、気球の残骸が見つかったそうなの。これを食べたら一緒に見に行かない?」
 私は陶子の落ち着いた口調に微かに苛立ちを感じながら、卵を齧る彼女を見つめた。

(中略)

 たぶん私たちは、本当に永いあいだ安らかに暮らしてゆけるし、終わりなんてものはこない。その証拠に、私はいつからこの家に住んでいるのか分からないし、自分が何歳なのかも知らないのだから。それが、この街に住まう者のルールだと、私はそう思っていた。

   


信じているならば、どうか信じてほしい。
最初から最後まで一気に走り抜けた。
何度も読んだ。
読み直すたびに読む時間はだんだん短くなって
いつか読まなくても読んでいることになるのではないか。
読書の一番の妙が「夢中になれること」にあるならば、
読書とはつまり「本になること」なのではないか。

とにかく文章なのだ。
文章に一切淀みがない。
迷いなく書かれたそれは
読者を迷わせることなく奥底へ連れて行ってくれる。
――たとえそれが入ってはいけない迷宮だったとしても

本作の文章を語るには、冒頭の一文を挙げるだけでよい。
「駅のなかにあるカフェは、凹凸のある厚手のギフト用ボックスで出来ている」
そんなはずはない、と思うところからこの作品は始まる。
そして文章は加速し、過熱し、固体から液体へ、液体から気体へ、
プラズマを越えた最終形態を「こころ」と呼ぶとしたら、それはふるえている。

感動を与えてくれるのはストーリーではなかった、キャラクターでもなかった。
具象を越える圧倒的な抽象だった。
これは事実。しかし個人的であるゆえ幾分か脆弱かもしれない。
ただそれを信じてくれるのだとしたら、この本を読んで欲しい。
この本はそんな人のためにある。
この本は、信じてくれることを望んでいる。
推薦者にゃんしー



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