出店者名 オカワダアキナ
タイトル 水ギョーザとの交接
著者 オカワダアキナ
価格 400円
ジャンル 大衆小説
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紹介文
「とんでもないことをやらかしたと思ったのに、僕も叔父さんもまるでふつうだ。世界はぶっこわれない」
からっぽの町でからっぽの叔父にかかった魔法を、少年はどう解くか?

栃木県宇都宮市。ギョーザが有名だけど、町はさびれて殺風景。13歳の男子中学生・青柳青葉(あおやぎあおば)は、夏休みを宇都宮の叔父・恵(めぐむ)のところで過ごすことにした。母親の再婚話に、担任によるケータイの没収、文化祭の劇、東京から逃げたい理由はいくつもあった。元バレエダンサーの恵は独身で無職、くたびれた様子なのになんだかもてる40歳。けれども、自分は死にかけていると言ってはばからない。
ある日、冷蔵庫の故障と妖精・パックの幻影により、青葉は恵とセックスしてしまう。死にかけの叔父を抱くということは夏休みの自由研究になり得るだろうか。ところでギョーザは蛹に似ている。

一 正しい予感

「たぶん死んでないよ」
 仰向けで動かないけど、あれは死んだふりだ。生きている。アパートの廊下に転がっていたセミは羽根を閉じてじっとしていた。もう一度飛ぶためのコンディションを整えているみたいに見えた。ようするに僕の直感であって根拠はないんだけど、こういうのってだいたいはずれない。だてに十三年も生きていない。模範的中学二年生である僕は、いのちの有無を見分けることについてちょっとばかり自信がある。
「うん。おれもそう思う」
 そう言うと叔父さんはさっとUターンして、部屋の中へ戻ってしまった。
「あいつが死ぬまで出かけるのは延期」
 四十歳にもなってセミがこわいのだろうか。たしかに近づいたら、びびびび、と暴れまわりそうではあった。
「セミが死ぬのを待つの?」
 声をかけた叔父さんはもう後ろ姿で、はだしの足がぺたぺたと廊下を歩いていった。残されたビーチサンダルが抜け殻みたいに転がって、叔父さんは羽化したばかりのセミだと思った。扇風機をつけた音がする。
「そう。死んだら起こして」
 たぶん叔父さんはごろんと横になっているんだろう。そんな感じの声だった。
 夕方、やっと涼しくなってきたので夕飯の買い出しに行こうとしていたのだ。けれど玄関のドアを開けてコンクリの廊下にセミが転がっているのを見て、叔父さんは引き返してきてしまった。
「死ぬまで観察してろってこと?」
「がんばれ。夏休みの自由研究」
 やはり叔父さんは畳に寝転がっていた。腕で顔を覆っているため声はくぐもって低い。二階のこの部屋は窓が大きく、西日がまぶしいのだろう。どんな顔をしているのか見えないけどにやっと笑っていそうだと予想する。とはいえ叔父さんはたれ目だからだいたいそう見える。
「セミの研究なんて、小学生でもしないよ」
 さっき廊下に出たとき、どこかの家から玉ねぎを炒める匂いがして夕方だなあと思った。カレー食べたいなあと思った。傾き始めたばかりの太陽はじりじりとしぶとくて、光はまだ白い。けれど一日はとっくに後半戦らしい。
「そう? ゆっくり死ぬさまを観察するのは、立派な研究になりそうだけど……」


抱くべきだったのに抱けなかった人たちを思い出しながら
 読み始めてから読み終わるまでの間、すごーく幸せな気持ちだった。感想を書くとなるとこの幸せの理由を言葉に変換しなければいけない。言葉にする、というのは感覚の記号化で単純化で、そこからは大切な何かがこぼれ落ちてしまう。良い本だったよ、とだけ言うのがたぶん一番正確で、連ねる単語が長くなるほど、私は間違った紹介をすることになる。
 宇都宮を舞台に、家庭や学校での悩みを抱えた中学生の青葉くんが叔父さんやその恋人たちと触れ合い、大切な夏の思い出を作るお話、なんて書くとありふれた映画のあらすじのようですね。でもこの話は映倫的にも表現されている雰囲気においても映像化は不可能だと思う。
 青葉くんはごく自然に叔父さんとセックスするから。
 もっと年上の子が中学生のふりをして青葉くんを演じたら興ざめだし、性行為をきちんと見せなかったらこの物語の本質が消えてしまうし、実際に中学生男子とおじさんが裸で抱き合う様子が画面に映ったら倒錯的になり過ぎる。
 青葉くんと叔父さんのセックスはほのぼのとして切ない。この関係は小説でしか成立しないものだと思う。文章にはこんなすげーことが出来るんだぞザマーミロ!
 叔父さんは死にかけていて、冷蔵庫は壊れていて(夏なのに!)妖精のパックがあちこちに現れて、こんな状況なら青葉くんは叔父さんを抱いてしまうよと納得してしまう。当然のことをしたまでです。
 読んでいる間、30代のうちに死んだ従兄弟のことを思い出していた。私は彼を抱いたり出来なかった。歳が離れ過ぎていたし親戚だったし、現実の人間関係は壁だらけだ。
 壁なんてすいっと通り抜けられて気にしなくて良い、この本の中にだけ存在する特別な空間にいられるのが本当に幸せだった。青葉くんは体と心を使って弱虫な叔父さんを慰めてあげられる。物語の中でなら、私たちは遠い他者とつながることが出来る。
 文章そのものに明るさがあり内容の重たさを一切感じさせないのも素晴らしかった。
「おれ、山田倫太郎ね。略してリンダって言うんだ」
 というセリフに笑ったり(略してないだろ!)
「なんでもかんでも夏のせいにしている気がする」
 というのも、ほんと夏ってそうなるよねって。
 この本の良さを少しでも伝えられただろうか。私の感想は正しくない。ページを開いて、文字を読み進めて、脳内に立ち上がる世界だけが本物だ。
推薦者柳屋文芸堂

ひと夏の性と生の物語
少年の一人称による語り口が絶妙で、読み始めたら止まらない。オカワダさんの文章は、読みやすくてしかも味がある。今回は性が関わるお話だけど、いやらしくなく、妙に潔癖や説教くさいという感じもなく、本当に少年が話しているよう。
ひと夏の性と生の物語で、青葉とめぐ(叔父さん)は一緒に過ごすなかで、それぞれの生きることを掴んだのかなぁと思った。ドーナツの内側は閉ざされているようで広くて、そこでは何があってもおかしくない。おかしくないから、いろいろ出会うし、いろいろ起こる。いろいろを積み重ねて青葉は母親や学校という世界でまた生きていくし、めぐは一度離れたバレエにまた関わりをもてるようになったのではないか。
人はそれぞれ水ギョーザあるいは蛹の側面がある。
推薦者海老名絢

ファッションセンター・オカワダ
お洒落な小説だな、と感じたのが第一印象である。
ファッションとしては決して最新ではない。例えるなら古着だ。
なつかしく、ほころびていて、なんだか水の匂いがする。
オカワダアキナの小説からは、水の匂いがする。
不安は誘う、しかしそれを身体に馴染ませるのは、人生を豊かにするはずだ。

ファッションに関していえば、オカワダアキナの小説には
蠱惑的な装置が多く現れる。
叔父とのセックス、白い水餃子、蛹にならない蝉、廃れた宇都宮の町並み
バレエ、「真夏の夜の夢」という演目。
それらは服飾における装飾具のごとく、
作中世界を魅力的に演出する。
そのひとつひとつを追う読書感覚は、
まるでファッションショーを見ているかのようだ。
決して具象的ではないストーリーが後から追いかけてくる。

抽象、という意味では、松本大洋作品を好きな読者は
この作品を気に入ることだと思う。

特に印象に残った人物がいた。
叔父さんの彼女、ゆみこさんだ。
同性愛主体で描かれた作品のなかで、彼女だけが「異性」だった。
彼女と主人公は交接しない。頼んだ飲み物はセーフセックスオンザビーチだった。
アルコールは入っていない。入ってはいないのだ。
果たして本当に交接しなかったのだろうか?
そもそも、ゆみこさんと叔父さんは交接したのだろうか?
作りこまれたオカワダアキナ・ワールド「水ギョーザとの交接」のなかで
ゆみこさんは作られていない異質だった。
邪推するなら、オカワダアキナ本人かもしれない。
そして、それが作品における水の匂いの正体なのだと思う。
繰り返す。
不安は誘う、しかしそれを読み取るのは、読書を豊かにするはずだ。
推薦者あまぶん公式推薦文

美しい生き物「叔父さん」
中学二年生の青葉は夏休みに叔父さんとセックスした。叔父さんは四十歳の元バレエダンサーで、いまも細くてきれいな体をしている。だけど、家で酒を飲んでゴロゴロして、時折、自分のダメさに泣いている。
青葉はこの社会性のない美しい生き物「叔父さん」を、自分なりに観察し、捕まえようとしている。そして、水ギョーザのように、白く柔らかい叔父さんの肉体を求める。
この作品の主人公青葉は、「正しく未来へ成長していく少年」だ。それに対して、叔父さんは過去にとらわれ、時間を止めて無為に生きている。二人が一緒にいるには、あんまりにも進むベクトルが違いすぎる。
少年のまっすぐな視線を通して、曖昧だった「大人と子どもの境目」がゆっくりと引き裂かれ、露わにされていく過程を描くような小説だった。
推薦者宇野寧湖