×月×日
昼食の後は殆どをゴンドラの上で過ごしています。毎回払う額を漕ぎ手と交渉して決めなければならないのが少し面倒ですけれど、歌手も陸の上では歌ってくれませんからこのくらいは仕様がないのでしょう。けれど、内輪で一寸噂にでもなったのでしょうか。今日ははじめに示されたその数字がいつもよりも低かったような気がします。
素朴なトラゲットを捕まえて運河を渡り、いくつかの路地へと入り込んだところで私は迷子を自覚した。水路に掛かった台形の橋々がどれも同一に思えてくる。上りの段数だけでも五階分はありそうなその疲労が、じわじわと足裏に溜まっていく。壁の色味も窓枠も、似たようでいて全て違う。しかし道幅は狭く空も一本にくり抜かれ、ひとつ曲がり角を行くたびに西と東が反転する。硝子細工に封筒、便箋、インク、ペン、飾り窓の内側には手垢を見つけることもある。気まぐれに店内へ踏み込むと、知らず来た道を引き返す。時折トランクを鳴らして足早な、青ざめた旅客と行き違う。忙しなく彷徨う視線も虚しく上滑りしているようだった。その新鮮な視界を大して意識することもなく、そのままどこかへ発っていく。勿体ないとは思うけれども端から手に入るものでもない。知る筈の土地に居ながら懲りもせず道に迷うのは、方向音痴のひとつの特権なのだろう。時の区切りも土地の区切りもなくぼんやりとしている私の、何か遊戯のようなものである。樹海や山岳を歩く気であればさにあらず、街には車や舟がある。野ざらしのそこらで夜を越せれば行先の当ては広がるが、そこまでするほどのものでもない。雨の気配を孕んだ暗い曇り空だけが少し気がかりになる昼間、羽織ったコートの裾を遊ばせ時折吹く風に身震いをする。変速も減速もなくふと立ち止まっては傍に寄る。それは煉瓦の繋ぎ目であったり、マンホールであったり、蝶番の鉄さびであったりした。仰げば先程よりずっと広くなった空の道、雲は斜めに横切り流れている。ひとり、ふたり、景色に焦点の合わない地元の人たちともすれ違う。彼らはその目を僅かにこちらへ留めたきり、余所者には見飽きた風である。浸水しそうな予感もなく、潮が引き水位の下がった分だけぬめりがこびりついている。流れの向きはわからない。風に首をすくませてふと、革手袋を買おうと思い立つ。