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あまぶんウェブショップ

販売は2021年7月31日をもって終了しました。
たくさんのご注文をありがとうございました。
  • 磯の口止め

    桜鬼
    400円
    ほか
    ★推薦文を読む

  • 短篇小説。
    海の幸に恵まれた磯の近くに住む仁波と、東京の大学へ通う春姉、親戚の中でも近しいふたりはそれぞれ密かに息を吐く。

試し読み


 食洗機の動き出す、くぐもった水音に蜜柑の皮からも汁が飛ぶ。
「春姉、品川出たってよ」
 シンクの縁に腰を預けて母はスマホをいじっていた。
「何分前の話」
「12:04」
 現在時刻は一時前、仁波はのろのろこたつに埋まった気怠い身体を引き出した。芯の引っ込んだシャーペンで無駄に木目を突き、剥ききった蜜柑を房も割らずに放り込む。科目もごっちゃに散らかっている冬休みの宿題はまだ半分以上が残っていた。最後の晦日も間近に控えた年の末、師が走るほどの繁忙期も過ぎ去り親戚の集まる時期となる。父は早くも店を閉じ、伯父の家でいそいそと麻雀の卓を囲い込んでいるらしい。居間はいつになく静かだった。

ー中略ー

 鳶がひゅるひゅると鳴くのを最後にこの冬の重荷も漸く空っぽになったらしい。顔を上げるといつからそうしていたのだろう、春姉の首は横を向き、水平線へと縫い止められたかのようだった。
「あれは、アジかな」
 遠くざわつく水面を指さす。仁波はマフラーを巻き直した。人形に戻ろうとしているのか、人間に戻ろうとしているのか、目元を彩る睫毛ばかりが唯一寒さに震えている。まだ、仁波は騙されているのかもしれなかった。わからないことがもどかしい。あのあたりはもう青く深い。春姉の髪がふいに靡いて陽に透ける。大物に追われているのだろう、時折群れた魚の一匹や二匹が横向きに跳ね上がるのが見えていた。

語りを研ぎ澄ませる

東京の大学に通っている従姉の春姉が正月休みに帰ってくる。中学生の仁波は彼女に憧れている。正月料理の支度の合間を縫って、二人は磯に向かい、春姉は「腕輪だろうか、ブローチだろうか」「貴金属と呼ばれる品々」(おそらくプレゼントだろう)を、次々、こっそり海に捨てる。やがて仁波は高校生になり、春姉も就職が決まったらしい。
正月やお盆や、あるいは葬式でも、親戚が集まる場では自然といつもその子が中心になる…そういう華やかな女の子。美人でそつがなくて、みんなの自慢の娘といった存在。そういう春姉と秘密を共有している仁波には、ささやかな誇らしさがあるのでしょう。やがて高校生になった仁波は、「初めての給料で、自分にと買った」ピアスを一人で海に捨てる。憧れの春姉がやっていたことをなぞって…のようで、やりかたがことなる。春姉は磯のほとりから落としていったのに対し、仁波はウェットスーツを身につけ、海に潜って捨てる。就職の決まったという春姉は、分厚い眼鏡をかけており、もう華やかさをよそおわなくてもよくなったというふうだ。

語りのことばの密度が高く、緊張感があり、また語の選択がクラシカルな印象ですが、作品自体に古めかしさや重苦しさはあまりなく、かえって若々しい手ざわりの小説です。作者の美意識をすみずみまで感じる文章で、雄弁に語るところとばっさり切り落とすところ、隠してしまうところの手際が鮮やかだなあと思います。そういう神経の張りめぐらされた語りが、少女の潔癖をものがたっている…と捉えました。語りのことばへのこだわりは、フェティシズムといいかえてもいいかもしれません。それが小説の最初から最後まで満ちており、そういう集中力や緊張感から若いエネルギーを感じました。
従姉への憧れとはいっても、感情そのものにあまり体重をのせない語りで、またまなざしの湿度がそんなに高くない感があり、そこのところのバランスがいいなあと思います。烈しい感情ではなくささやかな移ろいをえがくための、こういう語り。作者が自分で選び取って磨いた文体であろうと想像するのですが、それが少女たちの独立心をあらわしていて、美しい短編だと思いました。
また「磯の口止め」というタイトルが素敵だな、なんとはなしの色気があるなあと手に取ったのですが、作品を読み終えてから眺めると、なんとも粋です。

オカワダアキナ

あわいに立ち、しずかに揺れる

海沿いの町、伊豆の由緒正しき家(料亭を営んでいるのだろうか、と推測される)に生まれた高校生の少女、仁波のもとに東京の大学に通う従姉妹の春姉の帰省を告げられるところから物語は幕をあける。
気だても良く美しい春姉は、幼い頃からの仁波の憧憬の対象だ。

親戚筋が集まっての正月の宴を迎えるための台所の支度、潮の香り、冬の風の肌触り、まとわりつくウエットスーツの感触と、滴り落ちる塩辛い海の水、ひりつく肌の感触。
さまざまな気配と余韻をゆっくりと立ち上らせながら、ふたりの少女の、時に苦し気な息づかいが静かにこぼれ落ちていく。
東京と伊豆。地上と海の中。こちら側とあちら側、夢と現実とのあわい、彼岸と此岸――並行しながら切り裂かれたふたつの世界は、少女から大人への階段を昇ることを余儀なくされたふたりの残りすくない"少女でいられることを赦された"あわいの時を象徴しているかのように見える。

終始語り手である仁波のまなざしから語られる春姉の胸の内はあかされないまま、彼女があたらしい世界への旅立ちを決めたことが告げられ、物語は静かに幕を落とす。
どこか突き放されたかのような一抹の寂寥とともに読み手であるこちらに巻き起こるものは、ふたりの少女がそれぞれに見つけた答えに対する、おだやかな開放感だ。
ゆったりとしずかな、漣を見つめているかのような読後感が後を引く一冊。

高梨來