食洗機の動き出す、くぐもった水音に蜜柑の皮からも汁が飛ぶ。
「春姉、品川出たってよ」
シンクの縁に腰を預けて母はスマホをいじっていた。
「何分前の話」
「12:04」
現在時刻は一時前、仁波はのろのろこたつに埋まった気怠い身体を引き出した。芯の引っ込んだシャーペンで無駄に木目を突き、剥ききった蜜柑を房も割らずに放り込む。科目もごっちゃに散らかっている冬休みの宿題はまだ半分以上が残っていた。最後の晦日も間近に控えた年の末、師が走るほどの繁忙期も過ぎ去り親戚の集まる時期となる。父は早くも店を閉じ、伯父の家でいそいそと麻雀の卓を囲い込んでいるらしい。居間はいつになく静かだった。
ー中略ー
鳶がひゅるひゅると鳴くのを最後にこの冬の重荷も漸く空っぽになったらしい。顔を上げるといつからそうしていたのだろう、春姉の首は横を向き、水平線へと縫い止められたかのようだった。
「あれは、アジかな」
遠くざわつく水面を指さす。仁波はマフラーを巻き直した。人形に戻ろうとしているのか、人間に戻ろうとしているのか、目元を彩る睫毛ばかりが唯一寒さに震えている。まだ、仁波は騙されているのかもしれなかった。わからないことがもどかしい。あのあたりはもう青く深い。春姉の髪がふいに靡いて陽に透ける。大物に追われているのだろう、時折群れた魚の一匹や二匹が横向きに跳ね上がるのが見えていた。