「ジラ。起こして」
「……はい。お嬢さま」
ジラはそっと絹の上掛けを少女から引き剥がすと、片膝を寝台の上に乗せた。
体温であたたまったシーツとレシカの背中の間に、慎重に手を差し入れる。
ワルツを踊るように華奢な体を引き寄せれば、その首筋から、甘い汗の香りが仄かに立ちのぼった。
レシカはあくび混じりで顔を洗うと、前を濡らした夜着を脱ぎ、朝用の白いガウンを羽織る。
化粧台の前に腰掛けるのを見計らって、ジラはその場で淹れたばかりの紅茶を供した。
そうしてから、レシカのみつあみをほどき、緩く波打つ金髪を琥珀の櫛で梳き分け始める。
香油を含ませて背中まである髪に艶を与え、体を揉みほぐして白い膚の血色を良くし、化粧を施して歌姫の表情に崇高さと翳りを添える、神経質なまでに丹念な仕事を侍女が行う間、レシカは微笑を浮かべ、機嫌良く気に入りの愛唱歌をハミングしているのが常だった。
それは窓の外の小鳥とさえずり合っているような調子の代物で、正しい発声練習とはとても言えなかったが、いざ彼女が人前に立ち、少女合唱団の独唱者として歌う時、素通りできる者はほとんどいなくなる。
――レシカ・カネーレは、天使の声を持っている。
そのことを知らない者など、この街にはいないだろう。
アンジェリカと名付けられ、天使のモティーフを偏愛する独立市の住人たちは、思い入れや特別な熱、あるいは信仰を伴って、聖堂で神に祝福された声を響かせるひとりの歌姫のことを、数代に渡り、天使と呼び換えていた。
代替わりを経て、現在、その至上の地位にあるのが、ジラの目の前にいる「お嬢さま」だ。
彼女はただ見目良く声麗しいというだけの、十七歳の少女に過ぎないのに。
レシカの髪を優しく梳りながら、ジラは醒めきった気持ちでいる。
年は同じ。にもかかわらず、自分にはない何もかもを持つ名家の少女。
確かに彼女の声は素晴らしい。けれどそれだけ。
その比類なき喉とすべらかな頬に疵ひとつでもつけば、彼女の価値は失われる。
人が天使に求めるのは、自らが到達できない完成形、穢れひとつない美なのだから。