(一部掲載)
腹に麺類、そばにペンギン 大滝のぐれ
オウサマペンギンに腹をついばまれて死のう。昼休み、そんなすばらしいアイデアが唐突に頭の中に湧き出てきて、ぼくは会社の休憩室を抜け出した。持っていた食べかけのコンビニおにぎりを急に投げ捨てて椅子を勢いよく跳ね飛ばしたため、部屋中に散らばる他の社員の死んだ目が背中を刺していくのを感じた。が、そんなことはもうどうでもよかった。午後の仕事をこなして上司や同僚にへこへこすることより、ペンギンについばまれることのほうがよほど崇高で大事なことだろう。
駆け出した勢いのままドアノブに手をかけようとした瞬間、右の人差し指に鋭い痛みを感じる。原因はすぐにわかった。そんなに広くないこの休憩室に『緑の癒しを!』という名目で置かれているリュウゼツランが、ドアの近くで剣のように鋭い葉っぱをぴんと伸ばしていたのだ。ぼくはそれを思いっきり蹴り飛ばす。悲鳴がどこかであがった。昔からこの鉢植えすっごい邪魔だなと思っていたのでちょうどよかった。というかそもそも、ただでさえ手狭な休憩室にこんな大きな鉢植えを置く意味がわからない。ドア付近に鎮座しているのも、まったくもって理解不能だった。なんで人間が通る道に、観葉植物が我が物顔で突っ立っているのだろう。なんにもしてない、仕事もしてない、気楽に生きれるゴミのくせに。
スコトーマ フジイ
池袋の駅構内を移動していると、あまりの人の多さに視覚も聴覚も翻弄される。大きな、温いうねりのなかにいると、この歩みが自らの意思によるものなのか、判断しづらかった。不可視の流れに泳がされているような実感があった。
三月二十五日、スーツに身を包んで、今日限りで失う学生証を持って大学へ向かっていた。言い得ぬ肌寒さを感じて、身体がこわばる。でもスーツを着ていると、うっすら汗がにじんできた。肌の裏が、曖昧に火照っている。
春休みなので、普段以上に多くの人がいた。そのうち八割近くは、頭部がない。正確に言えば、あるはずの頭部がみえなかった。
あらゆる人の、口だけが浮かんでいる。その口、というのは唇と歯と歯茎まで、というのが正しく、生々しい入れ歯が人の首のうえにある状態だった。