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    アンソロジー『暴力』

    大滝のぐれ
    600円
    純文学
    ★推薦文を読む

  • 「暴力」をテーマに、2人の作家が描き出す小説・詩を収録した本。「暴力」が飛び交う世界で、その意味を再考する作品集。


    大滝のぐれ

    「さみしさに、殺人」

    小説
    「腹に麺類、そばにペンギン」
    主人公・アライは、とつぜん「オウサマペンギンについばまれて死のう」という思考に取りつかれる。上司を青龍刀で殺したあと、彼は動物園へ向かうのだが……

    「残り香はぺたぺたついてきた」
    佐竹マサタカをいじめるよう仕向けている「俺」。誰かが酷い目に合う。でも、いい思い出になる。青春ってそういうものでしょう? そうだった、でしょう?
    青春のつけを払わされる『俺たち』への鎮魂歌。

    フジイ

    「とまる、とまった、うごいた」
    「池袋池袋」
    「みえない導き」

    スコトーマ

    ?目がおかしい?主人公・杉田。彼が大学の卒業式の日に体験した、「反転」と「お終い」の物語。
    暴力は、現実ですか?
    あなたは、大丈夫ですか?

試し読み

(一部掲載)

  腹に麺類、そばにペンギン     大滝のぐれ


 オウサマペンギンに腹をついばまれて死のう。昼休み、そんなすばらしいアイデアが唐突に頭の中に湧き出てきて、ぼくは会社の休憩室を抜け出した。持っていた食べかけのコンビニおにぎりを急に投げ捨てて椅子を勢いよく跳ね飛ばしたため、部屋中に散らばる他の社員の死んだ目が背中を刺していくのを感じた。が、そんなことはもうどうでもよかった。午後の仕事をこなして上司や同僚にへこへこすることより、ペンギンについばまれることのほうがよほど崇高で大事なことだろう。
 駆け出した勢いのままドアノブに手をかけようとした瞬間、右の人差し指に鋭い痛みを感じる。原因はすぐにわかった。そんなに広くないこの休憩室に『緑の癒しを!』という名目で置かれているリュウゼツランが、ドアの近くで剣のように鋭い葉っぱをぴんと伸ばしていたのだ。ぼくはそれを思いっきり蹴り飛ばす。悲鳴がどこかであがった。昔からこの鉢植えすっごい邪魔だなと思っていたのでちょうどよかった。というかそもそも、ただでさえ手狭な休憩室にこんな大きな鉢植えを置く意味がわからない。ドア付近に鎮座しているのも、まったくもって理解不能だった。なんで人間が通る道に、観葉植物が我が物顔で突っ立っているのだろう。なんにもしてない、仕事もしてない、気楽に生きれるゴミのくせに。


   スコトーマ    フジイ

 池袋の駅構内を移動していると、あまりの人の多さに視覚も聴覚も翻弄される。大きな、温いうねりのなかにいると、この歩みが自らの意思によるものなのか、判断しづらかった。不可視の流れに泳がされているような実感があった。
 三月二十五日、スーツに身を包んで、今日限りで失う学生証を持って大学へ向かっていた。言い得ぬ肌寒さを感じて、身体がこわばる。でもスーツを着ていると、うっすら汗がにじんできた。肌の裏が、曖昧に火照っている。
 春休みなので、普段以上に多くの人がいた。そのうち八割近くは、頭部がない。正確に言えば、あるはずの頭部がみえなかった。
 あらゆる人の、口だけが浮かんでいる。その口、というのは唇と歯と歯茎まで、というのが正しく、生々しい入れ歯が人の首のうえにある状態だった。

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生きているかぎり、見ないふりできない

 「暴力」
 それが「よいか?わるいか?」と尋ねられれば多くの人が「わるい」と答えるだろうもの。けれど世の中には、たくさんの目に見える、見えない、暴力があふれている。
 この本は、そんな一筋縄ではいかない大きなテーマに果敢に向き合ったアンソロジーです。

 大滝のぐれさんの『腹に麺類、そばにペンギン』は人が死んでも生き返るようになってしまった世界で「ペンギンに腹を割かれて死にたい」と願う男の話。はちゃめちゃな世界を描いているようで、そうでなくたって世の中って理不尽だよねえ、と妙に納得する。
 『残り香はぺたぺたついてきた』は、いじめられっ子の復讐劇がいじめた側から描かれる。文章から現れる臭気がすごい。ずっしりと後味の悪いラストシーンが見事です。
 フジイさんの『スコトーマ』は言葉巧みに書き込まれているのに、本当に知りたいことはわざと言ってもらえないような、最後までずっと核心をはぐらかされるような……触れそうで触れられない感じがよかった。まさにそれが「スコトーマ」なのでしょうか。
 小説と小説の間に収録された詩も、ときに乾いた、ときにひたひたと冷たいような手ざわりで、ハラハラしながらも楽しませてもらいました。

 「暴力」は大きなテーマだが、決して遠いものでも、大袈裟なものでもない。まして、他人事ではない。
 さまざまなことに思いを巡らせ、読み終えてしばし心臓がざわめく。そんな一冊でした。

伴美砂都

正義以前の身体と風景

大滝のぐれさんの小説は何が飛び出してくるかわからない。短編であっても(短編だからこそかもしれない)、先の見えない感があってワクワクする。コミカルさを残したまま、ちゃんと血が流れる。無傷ではいられない。
とくに「残り香はぺたぺたついてきた」は、いじめる側の快感とその後の生活が語られ、きっちり暴力を振るい合うのが…決して気持ちのいい描写ではなく仇討ちの爽快感というのでもないのですが…怖いもの見たさでゾクゾクします。
オウサマペンギンについばまれて死にたい話「腹に麺類、そばにペンギン」は、ほんとにもう何が飛び出すやらびっくり箱のような作品で、主人公の語り、妙なところにこだわる感じのなんともいえないズレ感…が面白く、奇想に説得力を与えているように思います。

フジイさんの「スコトーマ」は、大学の卒業式の話。他人の顔が見えなくなった主人公。口だけが浮かんで見える、顔がしっかり見える人もいる…。芸術系の学部を卒業するにあたり、未練や不安で足踏みしている。終盤登場する「ホヤのような顔」の男には顔があり…「だれの顔もみえない二年間」「参加者全員の顔がみえる飲み会は二年ぶりだった」…、こういうところをいろいろ深読みしたくなってしまうのですが、主人公たちの懊悩の描写、そのみずみずしさに身を任せたい気もします。式のあとの立食パーティーの最中で友だちに出ようと言われ(辺りが騒がしいから声はきこえなくて)、「僕も足早に出口に向かい、ゴミ箱に持っていたものを放った」、ここの身軽さに「僕」の若さを感じます。
また「みえない導き」の「金木犀が たったいちどの雨で かおらなくなった」という出だしが好きです。そういうふうに感じたのか、ほんとうににおいが失われてしまったのか、人の心変わりとか幻滅する心とかのようにも読めるなあと感じました。

暴力とは何か?というような議論のもっと手前、暴力を「ふるう」「ふるわれる」身体と風景がさまざまなイメージで描かれます。空想・記憶が乱反射し、やすやすと問答をやらない。「べきである」「なくてはならない」を拒否し、結論を先延ばしていく…そういう気概に満ちた一冊です。

オカワダアキナ