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あまぶんウェブショップ

販売は2021年7月31日をもって終了しました。
たくさんのご注文をありがとうございました。
  • 黒い犬

    高梨來
    1000円
    大衆小説
    ★推薦文を読む

  • 「書きたいもの」を見失った小説家のアレンは、休暇のために訪れた田舎町の教会で弔う人のいない合同墓の手入れをする青年、ディディに出会う。
    襟の高いシャツに首元に巻かれたスカーフ、ほっそりとした腕に残された幾筋もの傷跡――どこか危うい翳りを帯びた彼と静かに心を通わせていくそのうち、アレンはディディの負った癒えることのない傷を知り、彼の心に寄り添うための物語を書きたいと願うようになる。
    ふたりの「かつての子どもたち」をめぐる、欠落を抱えた人々のための祈りと救いの物語。

試し読み

 誰しもの人生に幾度もの、忘れられない瞬間が訪れる時がある。
 ひどく些細でありふれていて、そうとは簡単には気づくことの出来ないもの。
 通り過ぎたほんのささやかな一瞬を懐かしむその時、手の中に光るちいさな星のかけらに気づくような。
 せわしなく過ぎゆく時の流れの中で、人はいくつ、その奇跡に気づくことが出来るのだろうか。


 僅かな湿り気をふくんだ秋風が、頬の上をかすかになぞる。そよぐ葉はすこしずつ色を帯びはじめ、光を遊ばせている。
 小高い丘の上、まるで町のシンボルかなにかのようにそびえ立つ焦げ茶色の煉瓦作りの教会を前に、僕は思わずぼうっとため息を洩らす。
 神への敬虔な信仰を持っているわけでもなければ、なにかしら懺悔したいようなことがあるわけでもなかった。視界が捉えた、この美しい建物を間近で目にしてみたい―突き動かされるようにいつしか脚は動き、目的地とは違うはずのこの場所へと赴いていた。
 本来ならばきちんと挨拶をすべきなのだろうか、この場所を守る誰かに。ひとさじばかりのうしろめたさと、子どものような好奇心。ないまぜの感情に揺らされながら、名前も知らない誰かの墓石をぼうっと眺める。数十年前に時を止めたその人の墓前にはいまだまあたらしい花が供えられ、手入れが行き届いていることがありありと伝わる。
 人がほんとうに死ぬ時は、その存在が誰もに忘れ去られた時だ―その言葉通りなら、ここで永劫の眠りに就く人々はみな、終わらない命を得た末の安寧を手に入れたと言えるのだろうか。
 みようみまねでぶざまに手を合わせ、ずっしりと肩に食い込んだ旅行鞄を背負いなおしたその時、ふいに、視界の端を揺らぐ影に気づく。
 風にそよぎ、かすかに揺れるやわらかそうな黒い髪、濃紺のシャツにくるまれたしゃんと伸びた背筋、光を跳ね返す澄んだ琥珀の瞳の奥には、あまやかさとともに、かすかな翳りが滲む。
「こんにちは」
ひときわ立派な墓標の前、ちいさく首を傾げるようにして彼は尋ねる。襟の高い濃紺のシャツにサスペンダー、首もとには森のような深い緑色のスカーフがさりげなく巻き付けられている。
 歳のころはおそらくは、二十歳をすこし過ぎたところだろうか。

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繊細であること、そして、人を傷つけないこと

このお話は一時期、カクヨムで公開されていたので、ためしに読み上げソフトで読んでみたのですが、この方法は高梨來さんの文章の繊細さにどうもそぐわず、先日、紙本を購入しました。
それが正解で、装丁からレイアウト、「この本に出会ってくれたあなたへ」まで含めての作品で、紙でしみじみ読むべき本でした。
あらすじは紹介文の通りで、行き詰まった作家が、出かけた町で出会った謎の青年と交流する話です。ディディの描写がどうもセクシーだな、と思って読んでいると、実は彼には、人にはどうにもいいにくい過去が……彼を傷つけず、交流を深めたいと考えた作家のとった行動は、という流れです。
特筆すべきは、文体までを含めた内容の繊細さ。普通の人ならもっと踏み込むであろうところ、もしくは見て見ぬふりをして触れないだろうところへ、來さんの筆は静かに進んでいきます。タイトルの(そして表紙の)「黒い犬」とは何か、が明らかになる時、「なるほど」と思うことでしょう。石井桃子が、死が迫っていた、この世でもっとも大切な女性に、『くまのプーさん』を訳して読ませたことを思い出しました。
この本は、スピンオフであるアンソロジー『ダレンと5つの心の扉』と、あわせて読むことを強くおすすめします。五人の作家さんが『黒い犬』の世界を、さらに彩り豊かなものにしています。

鳴原あきら

人間二人の情愛のおはなしは、温かい

同性同士の恋とも友情……とも、はっきりとカテゴライズ出来ない「慈しむ」感情のやり取りは、來さんの持ち味である繊細な表現も相まって、ゆっくりと時間をかけて、癒していくように感じられます。

來さんの表現の綺麗さとか、丁寧さとか、そういう「読んでていて綺麗だな、素敵だな」が存分に味わえるお話なんですけど、そこに潜んでるほの暗さは、深く、深く登場人物の心をえぐっていてしんどく思える。
読者である私は、自分の中にあるサディスティックな欲望が見えて来てしまって……だからこそ、それに傷ついた登場人物らの行動が眩しくて、愛おしく思えるのかもしれません。

ゆっくりと過ぎる時間の中で見えてくる、アレンの心と、作中作での出来事。読み終えた後も、本棚にそっと置いておいて、時折顔を見たくなるような愛おしさを感じたくなる本です。

服部匠