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あまぶんウェブショップ

販売は2021年7月31日をもって終了しました。
たくさんのご注文をありがとうございました。
  • 震える真珠

    ひざのうらはやお
    1200円
    純文学
    ★推薦文を読む

  • 総てを振り切って目覚めた男が、初めて書き下ろした純文学小説。追補短編を含む。
    いろのないまちに「流された」石本と自らの音を懸命に響かせるバンドとの共鳴を描いた表題作ほか2篇を収録。

試し読み

表題作冒頭部(抜粋)



 がたり、と視界が動き出してため息が漏れた。佐久間空港駅をのろのろと発車した列車はどこか軽々としている。地下を抜ける独特の喧噪から突然音だけが消え、景色は変わらず真っ黒、窓の向こうにはくたびれた男が黒縁の眼鏡をかけて座っているのが見える。黒いスーツ姿で黒い通勤鞄を置いているから、右手にある黄色の袋がただただ浮いている。大手CDショップの袋だった。
 車両にはぼくと、ちょっと遠くに色の落ちた髪のひとびと、反対側にはぼんやりとヘッドフォンをしている髪の伸びた詰め襟、隣のシート列にこぎれいな恰好の女のひと、それくらいだった。おそらく女のひとは途中の山越駅で降りて、残りはぼくと同じく終点の潮間駅まで向かうだろう。もちろん勘だが、たぶん当たる。
 去年の同じ頃、ぼくは潮間へと向かう列車に乗っていた。佐久間空港駅で後ろ半分を切り離すことを知らずに五両目に乗っていて危うく乗り遅れるところだったのを昨日のことのように覚えている。走っているのがふしぎなくらいのんびりと、列車は田んぼの中を抜け、商店らしきものが集まったと思ったら急に山林に入り、少し長いトンネルを抜けると色の薄いまちなみがぽつぽつと続いた先に潮間駅が見えてくる。千歳県の最果てのまち、潮間にぼくは今住んでいる。そしておそらく、このまちを出ることはないと思っている。
 CDの中にある曲をぼくは知っている。それらがどのようにして生み出されたのかはわからない。だからかれらが叫ぶほんとうの言葉を聞き取ることは出来ない。けれど、きっと感じとってふれるくらいはできるだろう。だからきっと同じように、かれらに言葉の束を渡したっていいはずなのだ。かれらはぼくの言葉を読めないかもしれないけれど、ふれることならできるはずだから。
 黄色い袋から出てきたかれらは海の底に沈んだまま何も言わなかった。ぼくも何も言わないことにした。列車が止まってこぎれいな女のひとが降りる。ここから先は、潮間市内の駅しかない。すぐに森に入って、長いトンネルを抜ければ、そこは。
 明日になったら。
 ぼくはかれが歌うそのフレーズを、まだ聞くことができている。

行きて帰「らない」物語

本作は電力会社で働く主人公・石本の話で、彼の行動・思考は慎重で疑り深いですが、本質的に「善」の人だと思います。作中での仕事そのものの描写というよりは、小説の語りや組み立てににじみ出ていて、公共性の高い仕事をすることにより身についた考え方で小説が駆動する…というようなことを考えました。

千歳県というのは千葉県のようでディテールが異なります。また東京の地名はそのままで千歳県とそこに出てくるまちの名前だけが架空で、幅広にSFと捉えました。潮間は繰り返し「さいはてのまち」と語られますが、ここではないどこかであり異界、彼岸なのかなと思います。
そうすると潮間でのできごとのいろいろが少々古めかしい感じ、物語的なのもうなずけます。手書きで辞表を出すとか、人事の仕組みとか、スナックだったり料亭だったり。また潮間で出会う人たちが、それぞれ「役」を演じている感があったり戯画的だったりするのも、小説を書けなくなったという主人公がどうにか目の前のできごとに結構性を見出そうともがいているようす…と捉えられるように思いました。
人物の人となりや行動、音楽などの表現物をかなり素直に土地と結びつけようとする主人公には、焦燥感が漂います。生煮えの言葉で試行錯誤する感じに、書けない焦りや若さが覗けます。

主人公は三十二歳ですが、現代において三十二歳は「若者」でしょう。社会が成熟し、よくもわるくも人生設計はかつてより複雑になり、青年・青春がより広範になっていると感じています。一生モラトリアムといってもいいかもしれません。またインターネットで手軽に得られる知識やSNSによって耳年増になりがちな現代においては、「他者を発見する」「自分のあり方を他者との関わりで見出す」といった実感は、学生よりも三十代くらいの主人公のほうがしっくりくるように思います。本作は、とても現代的なBildungsroman、青春小説といえるのかなと思いました。

異界を旅して帰ってくる…ではなく、そのまま異界に落ち着く。異界自体が、彼の語ろうとしている物語のようでもあり、そうすると、彼は自分の物語の中に居場所を見つけたのかもしれないなと思います。「わからないままふれつづけることを選んだ」という彼は、ふたたびペンをとり、とすると、本作は小説論、創作論でもあるのかなあと思いました。

オカワダアキナ