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あまぶんウェブショップ

販売は2021年7月31日をもって終了しました。
たくさんのご注文をありがとうございました。
  • 百々と旅

    オカワダアキナ
    700円
    純文学
    ★推薦文を読む

  • 彼女は灯台ではなく雨量観測塔だった。わたしは長いこと、彼女を灯台だと思っていたーー。
    14歳の「わたし」にとって、岬にそびえる灯台たちはみんな女の人だ。 半島に寝そべる山々も女性の体だ。巨大な手のひらについて考えるとほっとする。きっといいにおいがする。ある日わたしは学校をさぼって、母の友人ドドと旅に出た……。 (「百々と旅」)

    全8編の短編集。子どもの話、親子の話が多いです。
    2018年〜2019年にアンソロジーやweb企画に参加したものをまとめました。

試し読み

 彼女は灯台ではなく雨量観測塔だった。わたしは長いこと、彼女を灯台だと思っていた。母の写真で見ていただけだったので知らなかった。そうではないと知ったのは誰かのインスタグラムによってだった。
 少し前からフォローしている灯台マニアのアカウントで、日本中の灯台を撮ってまわっており、ぽつぽつ数日おきに灯台の写真が流れてくるのが、なんだかよかった。プロフィールに「She is beautiful.」とあり、わたしは灯台が女であることを知った。ほっそりしているもの、ずんぐりしているもの、白い女、縞模様の女、タイル貼りの女……。彼女たちはみんな孤独に見えた。わたしはいつも眠る前、知らない誰かの収集した女たちを眺める。夢の中で彼女たちにハグする。夜風に吹かれたタイルの肌は、きっとひんやりしている。
 写真の中で母は笑っている。今よりちょっと若く見える。母は塔を見上げ、ピースサインだけレンズへ向けておどけている。塔はしずかに立っている。彼女のすがたかたちは灯台によく似ていた。三浦半島の大楠山だ。白いからだでにょっきり立っていた。山の緑から突き出たあたまはきっと海を見渡している。大楠山は海のそばで、もしも彼女が灯台ならば、光を振り回し船たちを導いた。どのような晩も休むことなく、きっとレンズのひとみは赤い。いや白か? 彼女の足元は小さな畑で、春には菜の花が咲く。
 山のてっぺんには売店があり、おでんやうどんが食べられる。わたしは母の腹の中にいたころ連れて行ってもらったので、母から間接的に食べたこんにゃくやはんぺんだ。辛子はつけなかった。わたしが腹にいたからではなく、母が好まないというだけ。わたしがいたことにも気づいていなかった。妊娠のごく初期だったから。母は、わたしのことを知らずにハイキングに出かけた。誰と? 父だったかもしれないし、ドドだったかもしれない。それから十ヶ月ちかく経ってわたしが腹から出てくる頃には、母と父は別れていたので、わたしに父はない。
 山といっても大楠山は標高二四◯メートルほど、三浦半島ではいちばん高い山だが、巨大な手のひらが日本列島をなぞったならば見過ごしてしまうささやかな、ごくささやかな出っ張りだろう。にきびですらない。ひじをこすってみる。しわがある。皮が伸びる。母のひじは白っぽくひびわれ、指の腹にざらつく。きっと大楠山は、わたしたちのひじのしわよりも小さい。

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「人生」の手触りを得る

 主人公たちは、それぞれに問題を抱えてはいるが、いまだその解決に……あるいは折り合いをつける正念場に……あるわけではない。
 本編に収録された物語の多くで、いままさに「波風が立っている」のは、主人公以外の「だれか」である。
 主人公たちは、その「波風」を通して、その「渦中のひとびと」を通じて、「人生」の手触りを敏感に感じ取っている。

「百々と旅」
 「波風」の渦中にあるのは主人公の母の友人、百々で、失恋のまっただ中だ。
 主人公は自身がレズビアンであることを意識し始めているが、いまはまだ恋愛そのものの悦びと苦悩の外にいる。

「爆裂種」
 「波風」の渦中にあるのは主人公の姉。なにと彼女が直面しているのか、明確ではないが、憶測の材料はある。主人公は姉の世話を焼きつつ、姉が買ってきて冷蔵庫に入れたマンゴーがしなびていくことを案じている。

「退息所」
 「波風」の渦中にあるのは主人公の母と、そして祖母ではないかと思われる。連れ合いとの確執めいたものを抱え、それぞれ、自分の方法で受け流している。

 8編すべてがそうというわけではないけれど、おおくの物語で、「波風」は別の場所にある。具体的になにが起こっているのかはっきりしないこともある。
 けれども、いや、それだからこそ、読者は主人公を通して、物語に広がる「人生」の手触りを得られる。

 本作は、自分のなかのなにかを、カタルシスで流してしまう物語ではない。
 時々に読み返し、多くの主人公たち……いまだなにものでもない者の目と手を通し、人生の手触り、その喜びと哀しみを胸の内に積み上げていく……そのような物語であると思う。

宮田秩早