森でムースの角を拾うと小遣い稼ぎになるらしい。めったに見つかるものではないが、大きいものなら百ドル、いや五百ドルにだってなることもあるというから、男の子たちはムースが大好きだった。使いまわしの注射器で穴ぼこだらけにした腕をセーターとダウンジャケットで覆って雪の中を探し回り、といっても気まぐれな情熱だからすぐ尽きてしまう。目当ての角は見つからず、鼻を赤くしてとぼとぼ帰る。そうしてまたへろへろに酔っ払いながら草入りのクッキーを食う。
ムースというのはアメリカ人の呼び方で、ヘラジカのことだ。巨大な体の、森の王と呼ばれる鹿だ。歩く姿はピックアップトラックのフルサイズのやつよりも大きいというのだからとんでもない。ほかの鹿たちと同様、角は年に一度生え変わる。冬。だいたいクリスマスを過ぎたころ自然にぼろっと抜け落ち、森の中に打ち捨てられたさまはきっと雪の重みで折れた枝みたいに見える。
左右に大きく広がった掌上の枝角だ。大きいものでは二メートル近くになり、そんなにでっかいものが一年の間に生えて育って捨てられていく。不思議だ。硬く立派にそそりたち、ところどころ黄ばんだり黒い斑点があったり、いかにも年季が入っていそうに見えてもみな一年草だ。
新しい角が生え始めるのは春だ。生え始めは皮をかぶっている。産毛に覆われ、柔らかく、形も丸く、一日に五センチ近く伸びるという。やがて皮が剥け硬い角があらわれる。
皮が剥けるときムースは痒みを感じるようだ。剥け始めたところを木の幹にこすりつけ、まるでかさぶたを掻き毟る子どものようだ。でもそうやってごしごしやったところで一度に剥けるわけではない。残った皮を角のあちこちからリボンみたいにぶら下げ、ひらひら靡かせながら夏の森を駆ける。皮はいつか千切れ、ばらまかれ、下草にからまりなんだかわからなくなるだろう。土に馴染んでいくだろう。皮の内側は真っ赤で、ちょっと痛々しいようにも見えるが、血液を勢いよく巡らせ角を成長させたしるしだろう。
これは基地に出入りする友だちから聞いた話だ。米軍基地のプールで監視員のバイトをやっていた女の子で、きっと、ろくでもない若い兵隊たちから仕入れた話だ。
彼女とわたしは同じ団地に住んでいた。ママ氏も覚えていると思う。なめらかに日焼けした腕と真っ黒で長い髪が素敵で、わたしはひそかに恋をしていた。