「おやすみスヤノン」
泉由良
エンヂンボートを飛ばして、きみはエミの住む区画の座標まで急いだ。冷蔵庫の立ち並ぶシティは、ちょうど摂氏零度に保たれていて、きみは白いジャケットを着込んでいる。しかし肌と服のあいだは少し汗ばんでいて、若干不快だった。シティの冷蔵庫も白い。空間の座標は総て(F5, F5, F5)で、エンヂンボートは宙を滑空するので、地面に積もった雪には跡は付かないが、しかし一体いつ降った雪なのだろうときみはときどき思う。自分が眠っているあいだに、だろうか。
エミが冷凍室のうえ、屋上のエリアで手を振っていた。ボートを下ろす。
「今晩は」
「夜だっけ?」
「寝てたから。ずっと夜じゃないの?」
「起こしてごめんて。一緒に行きたくてさ」
きみは取り敢えずそう云った。多くの言葉をそのうしろに隠した。エミと一緒に行きたいと思ったのは本当だった。
「保管補完区間はすごいんだね」
エミは文句があるわけもないというように笑顔を見せた。
「何時間冷眠してたかなあ。ちゃんと起きてこられて良かった」
「端末見れば?」
「まあそうなんだけど」
むかし、スマートフォンの次に普及した腕時計の名残りがあるそれは、手首に小さく埋め込まれた電子機器になっていた。睡眠時間や呼吸、心拍数など体調に関わるものが記録される機能があり、つまりエミがどれくらいの日々冷眠していたかは、本当に知りたくて云ったわけではないのだろう。
「(03, 66, 35)の雲上回廊だって。まあそんな色だったっけ。後ろに乗ってよ」
「誘ってくれて嬉しいよう」
エミの口調の語尾はいつも少し緩んでいる。
「まあそういう緑色だったよね、#036635か」
「ほら、メット被って。ゴーグルは持ってきた?」
ふわふわと喋るエミに、きみは防具を渡した。
「あんまり飛ばさないでね、怖いから」
「私は複数操縦の免許取ってるし。でも手を離したりしちゃ駄目だよ。てか、エミ、下、スカートじゃん」
「だめ?」
「むかし、バイクの後ろにエミを乗せたときさ、あのときもスカートだったよね」
あはははは、とエミが笑った。