ある朝起きたらおれはここにいた。前世のことはあんまり思い出せないが、おれは二周目の人生を送っているとわかった。 誰かが教えてくれたわけじゃない。ただわかった。自分がそうだと気づいていないやつ、気づかないままのやつもいるだろう。でもおれは理解した。
遠泳の行事はタイムや距離を競うものではなく、隊列を作り、それを維持しながら二千メートルとか三千メートルとか泳ぐもので、みんなで泳ぎきることが目的だった。延々波をかいて足のつかない沖を目指した。
「僕はほとんど泳げなかったから辛い時間だったよ」
麦先生は頭を掻いた。二周目のおれは中学受験のために個別指導の塾に通っていた。麦先生は中高一貫の男子校出身だったと言った。
「うちの学校が創立したときから遠泳合宿はあって、いまでも全員ふんどしでやんなきゃいけない。白いさらしの布が配られて、締め方を教えてもらってね。OBが指導に来るんだ。みんな優しいし親切だったけど、はっきりいってこわかったな。こっちは中学生なんだもの。先輩って名のつく人はみんなこわい。毎年全員が泳ぎきっていますって言われてプレッシャーもすごかった。これまで全員できたことがおれにはできなかったらどうしよう、初の脱落者になっちゃったらどうしようって思った。僕が足をつかずに泳げるのはせいぜい十何メートルで、どう考えても無理だと思った」
麦先生は懐かしそうに目を細めた。いやもともと細い目だ。太った体はまんべんなく肉をまとい、膨らんだ頬に目玉が埋もれて見えた。めっちゃ水に浮きそうだけどなと思ったが言わないでおいた。おれは二周目なので分別があった。先生は続けた。
「いや脱落するだけならまだいいよ、恥ずかしいとか怒られるとかはあるだろうけどそういう辛さはいずれ過ぎていく。僕が本当におそれていたのは、自分が恥ずかしさに負けてもう無理ですって言えないこと、それで溺れ死んじゃうんじゃないかってことだった」
太い指がペンを回した。模試の結果がよかったので、まあ焦らずやっていこうとその日は過去問をおさらいしていた。夕方早い時間のコマで教室にはおれと先生だけ、クリーム色のエアコンが不規則な息を吐いていた。あれはもうすぐ死ぬだろう。
……オカワダアキナ『游泳準備室』より