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あまぶんウェブショップ

販売は2021年7月31日をもって終了しました。
たくさんのご注文をありがとうございました。
  • 詩集「harmony」

    豆塚エリ
    880円
    詩歌

  • 灰色のバスは夜霧の中を走り、砕かれたショー・ウィンドは水晶のようにキラリ、キラリ。不良品は燃やされて、すっかり煙になってしまう。拾われないままの夥しい靴が道路を埋め尽くし、選り分けられたコンテンツの海の中、呼吸が苦しくなる。カナリアの悲鳴が聞こえたとき、美しいハーモニーは高らかに、僕らの街に響くだろう。使徒たちはそのラッパを手放すことはない。たとえ終末が訪れたとしても。
    二宮敏泰 画

試し読み

あとがき

 詩はコミュニケーションのツールである、というような言葉を、ちらりとツイッターで見かけた。なんのことはない、どこかの詩人が気まぐれにつぶやいたのだろう。だがその時、私は息苦しさを感じてしまった。
 とはいえ、ふだん詩を書くとき、私は他人から読まれることを強く意識している。詩集に値段をつけて売っている時点でそれはひとつのコミュニケーションをしているし、他者に読まれることへの意識がない作品は読みたくない、とさえおもっている。
 それなのになぜ今更、息苦しいと感じるのか。

 おもうに、自分にとって詩を書くという行為は、私の言語体系、私のためだけの言葉の回路を作る作業だったのではないか。
 詩を本格的に書き始めた十五才の頃の私は、尋常でないくらい詩を書き綴っていた。溢れ、こぼれだすようだった。その当時、誰からも愛されていないとおもい込み、誰とも繋がれなかった。世界から剥がれていく、と生身に感じていた。ペンを握りしめてノートに書きなぐって、死んでしまいたい夜を毎日やり過ごしていた。
 詩は共に思考し、私に息を吸える場所を与えてくれた。暗闇でしかない世界を灯す明かりであって、それは本当にささやかなものだったのだけれど、その光が届く範囲は安心し、自由でいられた。
 人から読まれるのがひどく嫌だったが、信頼する友人が良いと褒めてくれ、これからも書き発表すべきだと言ってくれた。
 私が灯した光に惹かれて人がやって来てくれたことは嬉しかった。同じ空気を吸える喜びがあった。
 だから、書いたものを読んでもらいたいとおもうようになった。そのために、自分のために得た回路をチューニングし直している。誰かに読まれるからには、より伝わりやすく、より豊かなものを書きたいから。
 けれどけして詩はコミュニケーションのツールなどではない。自身の思考の回路が開けた先に、たまたま誰かに伝えるという選択肢があったまでだ。
 光を灯すのは、自分のためだけでもいい。むしろそちらを大切にできたほうがいいようにもおもう。……

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