某月某日
街で初めて珈琲人形を見つけたのは、確かにこの日であったと記憶している。高層の夢を敷石にして出来ている駅のすじ向かいの両替屋はウィンドウに小洒落たものを飾るのが好みらしく、そのなかに顰めっ面をして飾られていた、それが確か、珈琲人形であった。
(中略)
某月某日
知らぬまに、街じゅうのポスターが貼り替えられている。
──アナタノオ供ニこおひい人形
もう駄目だ。気を付けなければ私は離陸してしまうだろう。気を付けなければ私は滑り落ちてしまうだろう。気を抜いてはならない。街を侵食していく珈琲人形たちに、気を許してはならない。
(中略)
十、
須藤さん、何故死にたいの、
須那子さんは何故生きているの、
私は生きていますか、
生きていないの、
分からない、でも私は……須藤さんと同じ場所に居たいです。
僕が死んだら、
私独りになりたくありません、
「──少し飲むね」
須藤さんはざっくりと粉薬を酒に流し入れて飲んだ。
「俺はね、元々、駄目なんだ」
私は力が抜けて、声を上げそうになった。須藤さんお願い、先に逝かないで。須藤さんはその侭、卓に頭を伏せてしまう。
「さいなら」
「……」
……須藤さん?
須藤さんもう死ぬの?
須藤さん何を飲んだの?
須藤さんを揺さぶる。須藤さんの体躯は人形のように私の動かす侭になってぶらぶらしている。頸を触る。つめたい。
私は須藤さんを強く揺さぶり、そして叩いた。
涙声に洟水にまみれて須藤さんを殴り続けていると、須藤さんがゆっくり目を開けた。
「──未だいかないよ」
(中略)
私が、死なせる。私がこのひとを死なせる。
私はそれを、背負わなければならない。
須藤さんをおぶって立ち上がり、部屋を出た。裏の道は池に続いている。
永遠のような時間を、一歩一歩、歩いた。
ああ、眠い。夢だろうか、これは。
背中が重い。こんなに重い子をおぶったことはない。
ああ、なんて、眠いのだろう。
須藤さんの指が私のなかに溶けてゆくときの甘い眠気。
やっと池が見えてくる。池は、黒々と光っている。静かに雨が降っている。池の傍の木に、一度、しがみついて須藤さんの腕を引っ張り直し、自分の前に回して、抱きかかえるようにする。
こうやって、泣きながら、堪えながら、身を重ねてきた。何度も、何もかも、やってはいけないようなことを重ね続けて過ごした日々。今、初めて、愛している。愛しています、と細い息をのばすように噛み締めた。