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  • GIRLOVER

    にゃんしー
    1000円
    純文学
    ★推薦文を読む

  • にゃんしー最後の少女作品。

    「XXXXには何が書いてあるのか分からない」
    群像新人文学賞 4次通過作

    ■XXXXには何が書いてあるのか分からない
    イチローに憧れていた、イチローと同じ名前を持つ韓国人の少女が、
    イチローを産んだ「野球の国」日本を訪れる。
    クソババアとヨルからは、それぞれXXXXと野球のボールを託される。

    クソババアは「日本ではXXXXが助けてくれる」と言った。
    そんなわけはないと思う、だって、XXXXには何が書いてあるのか分からないし。
    わたしを助けてくれるのは、野球のボールのほうだ。
    牛皮に書かれた一文字の漢字は、ふしぎとその意味が分かるような気がした。

    韓国語で「たぶん」という意味を持つあいまいな日本の町で、
    少女はセン・モモというおじさんと、レイという女の子と出会う。
    彼や彼女とふれあいながら、少しずつXXXXの意味を分かっていく。

    「わかること」を問う少女の純文学。

    表紙:泉由良

試し読み

 クソババアはチマチョゴリの襟元に右手を差し込んだ。かつて、お父さんを育てたときにそこからおっぱいを取り出したように、わたしを育ててくれる何かを取り出してくれるんだろうと注視した。
 クソババアは黄ばんでぼろぼろになった紙のようなものを現した。四つ折りにされたそれを開くと、クソババアのおっぱいの匂いなのか、甘い匂いが漂った。身体のおくがむずがゆくなるような、どきどきする匂いだった。
 紙には、縦書きの流れるような文字でなにか日本語が書いてあった。もちろん、わたしにはたったの一文字も読み取れなかった。クソババアが文字をゆっくりと指先で追いながら、言い聞かせるようにその文章を読み上げてくれたけれど、やっぱり何が書いてあるのか分からなかった。
「××××」
 すべて読み終えたあと、クソババアは噛み含めるような重々しい口調で文章のタイトルであろう日本語を口にした。クソババアは何かを主張したいとき、必ず威圧的な強い口調を好んだので、こういうふうにわたしの理解をたのんだのは初めてで、こんらんした。
『日本で何か困ったことがあれば、この文章を読みなさい。日本にいるかぎり、この文章を読めば、必ず誰かが助けてくれる』
 クソババアはわたしの目をまっすぐに見つめ、そう言った。白地のおおいクソババアの瞳は、思ったよりも血走っていて、黄褐色の斑点が見つけられて、隠しようもない老化を示していた。クソババアはずっと生きているように思っていたけれど、もしかすると、これがクソババアと話せる最期の機会なんじゃないか、そんな気がした。
『この××××ってなんなの?』
 わたしはいろんなことを訊かないといけなかったのに、ようやく訊けたのはそれだけだった。
『××××は、私の愛していた日本人が渡してくれた、お守りなの』
 クソババアはそう言い、その紙を再び四つ折りに戻し、わたしのジーンズのポケットにねじ込んだ。それ以外、クソババアは何も言わなかった。わたしも何も言わなかった。とてもあっさりとわたしたちはお別れをして、わたしは飛行機に乗り込んだ。

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にゃんしー純文学の金字塔

少女純文学小説集と銘打たれた、「XXXXには何が書いてあるのかわからない」「チガヱ」の二編を収録した作品である。
ぼくは今までにゃんしー氏の作品をいくつか読んでいる。その中でも本作はいずれも、それぞれ別の側面においてにゃんしー純文学の現時点における最高傑作で、おそらくは通史においても金字塔と呼んで差し支えないものではないかと考えている。それほどまでにこの2作は強靱である。
「XXXXには何が書いてあるのかわからない」は、氏が群像新人賞に提出した作品で、四次選考まで通過している。言い換えれば最終選考の手前で落選となったものだ。主人公は韓国人のハナという少女。ハナは韓国語で「一」という意味らしい。ハナが日本の尼崎にやってきて、そこでホームレス同然に暮らしているふたりの中年男性、モモとセンに出会う。この3人と、途中から登場するレイという少女が主要の登場人物であり、それらがある年のWBCの決勝戦の様子と重ね合わせながら物語として進行していく。この作品は氏はストーリーテラーとしての能力が高いと思わせるものでもあって、この2つの線が融合しないまま並行して進んでいき、かつ、お互いがお互いに関連しており最後につながっていくという流れを、こちらに整理させることなくすっきりと読ませている。この力が非常に強い。また、ハナの語りの文体が癖がありつつも読みやすく、現実と非現実がその境界線をあいまいにしたまま混じり合ってはなしが進んでいくところが妙に心地がいい。
カップリングの「チガヱ」はそれとは全く異なるタイプの小説である。閉鎖された寒村で過ごす四人の男女が物語が進行していくにつれそれぞれ「大人になる」はなしであるとぼくは読んだ。ここでは氏のある種特化した描写力が存分に生かされている。破壊力とスピードがこちらもにゃんしー氏自体の持ち味をフルに生かした作りとなっている。この作品のあらすじは、なんというか語るだけ無駄だなという気しかしないので割愛する。読んでいただければこのことばの意味がわかるのではないかと思う。
繰り返すが、この小説群はいずれもにゃんしー純文学の頂点に君臨しているものだろうとぼくは思う。もし、あなたが純文学を読みたい、それも極端に尖ったものを読みたいと欲するならば、この作品はジャストフィットであろう。そういった確かなパワーが、この作品には内包されている。

ひざのうらはやお

分からないものを、分からないままに、見届ける

「XXXXには何が書いてあるのか分からない」
 韓国から日本へひとり渡った少女、ハナ。その家族で韓国に残った少年ヨル。ふたりの語りが交差するかたちで物語は進んでいきます。
 ハナが訪れたのは、尼崎。韓国語で「たぶん」を意味する「アマ」の町。そこで少女が見た景色とは……。
 どこか危うい、「アマ」でのハナの暮らし。高いところから低いところへ川が流れるかのように加速する物語に、何が起きるのか分からない、けれど不穏な予感がつきまとい、ページをめくる手が止められませんでした。
 「XXXX」に何が書いてあるのか、ハナとヨルの関係、ハナがなぜ単身、日本へ渡ったのか……物語の中盤から終盤にかけて、さまざまな事実が明かされます。
 けれどすべてが明かされたあとにも、本当に本当のことは「分からない」。
 分からなかったことを抱えて生きるのは、ときに「分かる」ことより、ずっと苦しく、永遠を内包するものである、そんなときもある、そう思いました。
 分からないものを、分からないままに。
 XXXXには何が書いてあるのか、何度でも見届けたいし、考えたい。

「チガヱ」
 寒い寒い国、冬幻郷で「世界」と暮らす少女チガヱ。笑いながらさかごで生まれた、というチガヱの日々に、ほんの少しの違和感がうまれるところから物語は始まります。
 友人のヨゴレ、キレオ、ミルクとの関係にも少しずつ変化が訪れ……加速したスノーモービルが止まらないように、最後まで息を呑むまま。
 どうしようもないこと、について考えます。少女だったこと、生理が来ること、産むこと(あるいは産まないこと)、愛することとか、死ぬこととか。
 世界に産み落とされたチガヱは、どこへ行くのか。生々しく体液の臭いが漂う、しかし目が離せない一篇。

 “少女”を主人公においた2本の小説は、どちらも痛みを伴うような内容だと感じました。けれど、目を逸らせない。
 大きな大きなエネルギーを孕んだ本です。

伴美砂都

――「たぶん」の町で、母親を探す――

「××××には何が書いてあるのか分からない」

 二編収録の本書、やはり一本目のほうが心に残る。
 入れ子構造の物語。
 娘が韓国から来日する。物語は「娘」の視点で進められ、留学目的で訪れた「尼崎」で、ある経緯で娘はふたりの男と、幻想的で原始的な共同生活を始めることになる……
 しかし、「娘」視点の物語は唐突に終焉を迎え、不穏な事実も断片的に明らかになる。
 続くのは、理解し得なかった「母」の面影を追う青年の物語。
 ふたりで観た日韓の野球の試合、母との別れの意味、父の罪、「たぶん」の町での「母」の消息、そして、母が持って行き、持って帰ってきた「××××」と「彼女の名前」。
 答えの出ない迷宮を彷徨う青年の「旅」は、終わらない。
 それは彼が「母」を理解するための旅だからだ。その旅に終わりはない。
 けれど、意味のないことではない。他者を完全に理解することはできないけれども、理解しようとすることが無意味ではないように。
 そして、「母」を探す「旅」と同じように、理解し得ないこと、相容れないことを孕みつつ、なんらかの関係を模索すること……その方法を探す過程にこそ「××××」は「意味」を持つのかもしれない。

 二本目の「チガエ」は、性愛を真ん中にすえて揺れ動く生死の天秤の物語……と読んだ。

宮田秩早

韓国のことを書く理由

いつかもしそんなことを問われたとき
答えはいつも明確にあります。
そんなことを答えられるよう
ちゃんと書き続けていたい。
「XXXXには何が書いてあるのか分からない」は、
私にとってその機会にたどり着くまでの
ちいさな一歩です。

にゃんしー