出店者名 波の寄る辺
タイトル 【おすすめ】移ろい
著者 桜鬼
価格 500円
ジャンル そのほか
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紹介文
Neutral-中性的-な全四篇

花咲み
 相槌も打たず耳のみを此方に向けていた友人は、私が話し終わると同時に目線を寄越した。感嘆の声を上げる。知らない言葉だった。
ーー微酔いの語りは感覚的かつ不明瞭に、春の夜の一面を描き出す。

海に沈む
 足元がひんやりとして温い。海水はじわじわと居間の床を侵食し、終の住処からは空気が泡となり逃げていく。
ーー自然に抗うことなどできない。死を待つ男は知る。


此岸花
 リビングには細かいブロックの欠片が散らばっていた。一帯の中央に鎮座する恐竜は、帰ってきたからずっと遊んでいた設定にしては出来が悪い。
ーー父と子、二人暮らし。しかしそこには秘密があった。

迷子の栞
 電子の文字と紙の文字とはやはりどこかしら違っており、慣れないうちは目の奥が突っ張り首の後ろまで硬くなる。
ーー近未来、不思議な読書体験。

『花咲み』

 出掛ける気のする夜。酒と煙草の為だけにでも、出掛ける気のする夜。ところがいざ外に出てみれば、昼ほど温くもない。熱は何処へ行った。気紛れなものだ。けれど凍みるほど張り詰めてもいない。真冬の夜は押し潰されそうにもなるものだが。四季、移り変わるのは夜の密度だ。
 早々に店仕舞いする出店のちまきをつまむ代わりにバーを二軒梯子した。一軒目、酒の所為で体が冷える。これでは煙草など吸えっこない。二軒目、酒の所為で体が火照る。地球に愛想を尽かされる。これは夢だ。芯のない頭で夢を見ている。いい気分である。月は如何か。雲は如何か。突き抜け星まで落ち行く空。上ばかり見ていると黒が近づく。茂る黒。緑には見えない。躓いた足が鈍く響く。人影のない裏道、十字の並ぶ墓地の脇、くの字に折れ曲がっている。この段々坂は割にきつい。数段上に腰掛けた先客が、じっとこちらを見下ろしている。

  こんばんは。

 こんばんは。



『海に沈む』

 見慣れた景色と言えば、ぽつりぽつりと顔を出した山々と、それらより僅かに背の高い富士、彼の山の青はその殆どが沈んだ現代でも、海より空に近かった。その他は、四方八方見渡す限りの大海原、唯一つ。晴れの日は星を纏めて散らしたかのように輝き、風の日は白い波が線となったかと思うと、寄せては失せ、寄せては失せを繰り返す。雲が浮かべば、そこの真下のみ黒々と、底なしの恐ろしさに目をそむけ、雨の日には雨粒以上に猛り狂う様に怯え慄く。しかし、鮮やかな夕焼けの時だけは、全てを忘れて見惚れるに限る。少し、沈んだことが惜しいように思えてきた。



『此岸花』

 夏のうだうだと去り渋る九月、駅へと向かう大人たちとは反対にカラフルな子どもたちの朝も始まる。ランドセルに結びつけた巾着は歩を進める度に跳ね、あちらこちらで弾けた声が響いている。新学期に対し子どもたちがどのような心持ちでいるのかは知らない。夏休みの間には会うことの出来なかった友人たちとの語らいを楽しみに登校する子もいれば、未だ終わらない宿題を抱え途方にくれている子もいるだろう。しかし智紀の内心はそのどちらとも異なった。



花の香と、異界と
味わいの違う四編の短編集です。

「花咲み」
 主人公が、不思議な「モノ」たちと行き逢うことで「花咲み」という現象を知る。
 主人公がある人に聴いた「花咲み」の起こる瞬間と、主人公が実際に行き逢い、感じたその瞬間には齟齬があるのですが……
 そのわずかな感触の違いを描ききる作者の描写力と、おのおのに個性的な花の佇まいの美しさや「異界感」とでも表したい現実からわずかに遊離した表現……
「詩と物語の間」……作者の巻頭の言葉がこの物語の味わいをあますことなく表現しています。

「海に沈む」
 電信柱の結界に守られた地上の世界と水底の世界。
 紅い魚が繋ぐ、地上と水底、此岸と彼岸の不穏に溶け合う感じが良い。
 後半、不安に満ちた物語の中、主人公の最後の台詞がその不安感を鮮やかに切り裂くものとなっている点を特筆したい。

「彼岸花」
 ふれあえない世界、ふたつを繋ぐ少年。
 優しい世界で伸びやかに育つ少年の姿が愛おしく、また、ふれあえない世界の静かな痛みに満ちた物語。

「迷子の栞」
 本を読む、ということで繋がっている祖母と孫の、だたそこにある日常の物語。
 祖母の日常と、孫の日常、そして「本の中の世界」が、一枚の栞によって、ある次元で重なり合うその瞬間に読者もまた、ちいさな驚きを得る。

 どの物語も、それが見たこともない異界であったとしても、「その場面」が端正な描写によって脳裏に喚起されるところが、この短編集の凄みだと思います。
推薦者宮田 秩早



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