出店者名 三谷銀屋
タイトル 赤目のおろく
著者 三谷銀屋
価格 400円
ジャンル ファンタジー
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紹介文
幼い頃に死神の手違いで三途の川に連れて来られ、右の目玉を取り替えられてしまった少女、おろく。
妖しの力が宿る右の赤い瞳はおろくの運命を狂わせ、やがておろくは女賭博師に……。
江戸時代を舞台にした時代小説風の和風怪奇ファンタジー。

ほんのりと月明かりの照らす中、ぶらぶらと提灯を揺らしながら大川(現在の隅田川)沿いの道を歩いた。
 水は深い闇を宿しながら堂々と流れる。おろくはこの川の傍を歩くのが好きだった。気持ちが沈んだ時も、川の水が自分の悩み事を海まで流していってくれるような気がする。
(ずぅっと昔も、こんなふうに川沿いの土手道を誰かに手を引かれながら歩いたっけ・・・・・・いつのことだったのか、誰と一緒だったのか、すっかり忘れてしまったけれど)
 道に沿って植わった柳の木の葉がさらさらと揺れて、仄白く光る五、六個の人魂がふわりふわり、上へ下へとと宙を舞い遊びながらおろくを追い越していった。
 川で溺れた幼子達の霊か・・・・・・おろくは目で追った。
 肉体を離れた後も、こうして友達と連れだってじゃれあいながら無限の時と空間にたゆたう者達。
 意外に寂しくはないのかもしれない。
(本当は生きているあたしの方が寂しがっているのかも・・・・・・)
 おろくは溜息をついた。
 誰かとすれ違う気配。土を踏む音。おろくの横を、血の滲んだ裸足の二本足だけがサクリサクリと通り過ぎていく。
 この世ならぬ者との邂逅は、おろくにとっては日常茶飯事だった。
 おろくには、普通の人間には見えるはずのないものが見える。しかし、それは決して生まれつきの能力というわけではなく、そもそもの事の発端は、十二年前、幼いおろくが大火事に巻き込まれたことにある。
あの日、火事の大混乱の中、気を失って往来に倒れていた五歳のおろくを父親が見つけ、助け出した。目立った怪我もしていないように見えたおろくだったが、目を醒ましてみると、右目の瞳が真っ赤な色に変わっており周囲を驚かせたのだった。原因はよく分からないが、倒れた時に目の内側に怪我をして瞳の色が変わってしまったのかもしれない。
 しかし、瞳の色以上に、おろくの視界に入る世界はその時からガラリと様相を変えてしまった。


境界に立つ者
おろくの右目は、赤目になってしまっていた。
周りには見えないものが見えてしまう。
そのことで、悩み、傷ついてきた。
そして本来なら見ておくべきものが、見えなくなってしまっていた。

これは、目玉をめぐるお話、だけではない。
思春期まっただなかの少女の葛藤、
江戸で暮らす人々、そして地獄で暮らしをたてる存在達のお話でもある。
江戸と地獄、生と死、
どちらの世界についても、しっかり描かれてある。
だから、相容れない世界の境界が、はっきりわかる。

未知の世界は、こわいだろうか。
地獄の世界は、死という概念は怖いだろうか。
おろくは、境界線に立っていた。
現実とあの世の境界にいた。でもそれは、おろくだけではなかった!

両方の世界の理(ことわり)に理解を示し、
境界に立ち続ける者達の苦悩と、優しさが光るお話。

予想の斜め上をいく展開に、ドキドキしながら、
楽しくよみきることができました!
推薦者新島みのる

愛す可き良作
こわいという感情について考えた。
決して前向きな感情ではないのに、どうしてそれを求めてしまうのか、
そして、その感情を得たあとにどうしてこうも気持ちよくなれるのかについて考えた。

「赤目のおろく」は「こわい」小説だった。
あまぶん公式推薦文では10冊を越える良作を読んできているが、
ここまで「こわい」小説はなかった。
あまぶんのみならず、ここ数年で読んだ小説を振り返ってみても、
これほど「こわい」小説は記憶にない。

「こわい」小説であるという点については、
本作の表紙を見ればある程度予期してもらえることかと思う。
また、時代小説と怪奇小説が合わさったような構成も、
「こわさ」に寄与していることだろう。

まず、テーマが目玉である。
おろくが目玉屋で赤い目玉を手に入れるところからこの物語は始まる。
おろくが出会う人物、触れる人物、すれ違う人物、
いずれも何処か底知れぬ「こわさ」を持った人物ばかりだった。
決して悪いひとたちではない。
たぶんに人間じみていて、いいところも匂わせていて、しかし、間違いなく「こわい」のだ。

「こわい」というのは、
それが自分のうかがい知れぬ深淵を宿しているからそう感じるのだと思う。
「赤目のおろく」の物語も人物もそうだ。
端的にいうなら、淵の向こうに「死」が佇んでいる。
「赤目のおろく」は、「死」を身近に、
それこそ手の届きそうなくらいの場所に感じられる小説だ。

それでいて、読後感は爽快だ。
指先でかすか触れた「死」の感覚がそうさせているのだと思う。
しかしそれはスーサイダル・テンデンシーではなく、むしろその逆、
「生」に対する愛おしさだ。
それがこの小説を読み終えたあとの、あたたかい感情の正体だと思う。
「こわい」という言葉は「かわいい」と語感が似ているように、
このふたつの感情は近いところにある。
「かわいい」は「可愛い」と書く。
愛す可き小説であり、
また愛す可きなのは、
この小説を面白いと思えた自分自身なのだと本作は教えてくれる。
推薦者あまぶん公式推薦文