ロンドンに行くの、と野枝美が普段と変わらない硬質な発声で口にした時、僕たちは丁度杉下家のつるばらの生垣に差し掛かったところだった。 「へぇ」 その時僕は、読みかけの推理小説のトリックについて考えていた。爽やかな新緑の気候には不釣り合いな、幽霊屋敷で起こる密室殺人についてだ。 「良いじゃないか。ロンドン橋が生で見られる」 「生で?」 野枝美はまっすぐに切り揃えた前髪の下、訝しげに眉根を淡く寄せながら、隣を並んで歩く僕へと首を巡らせる。 「その場で実際に、ってこと」 受けた視線を返すために彼女の方を見やると、そこにあったのはそれくらい言われなくても解っていると言わんばかりの、呆れたような表情だった。 「なまものじゃないものにも、生でって言うのかしら、という意味」 なめらかな滑舌で紡がれた返答は、かえって棘を感じさせた。 この場合の生はなまもの生ではなく、生中継の生に近いのではないだろうかという反論がすぐさま舌先に転がり落ちてきたのだが、過去の経験則に従って僕は唇を噤んでおくことにした。この議論の果てに得られるものは、費やす労力を裏切ってあまりに小さい。 「それで、いつ行くの?」 僕は残り僅かとなった帰り道での会話を和やかに締めくくろうと、冒頭から逸れた話題を本筋へと戻す。 春の連休が明けたばかりだというのにもう夏季休暇の予定が入っているというのは、随分気が早いような気もしたが、海外旅行とはそういうものなのかもしれない。まだ日本はおろか、生まれ育った神戸を含む近畿圏からも出たことのない僕には、想像すら簡単にできない話だ。
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