出店者名 エウロパの海
タイトル ペルセウスの旅人
著者 佐々木海月
価格 600円
ジャンル ファンタジー
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紹介文
「誰もが、誰かの言葉を運び、伝えるのです」

夜と夜の間を渡っていく孤独な旅人「ローレン」。
相棒のフクロウとともに旅をする薬師の青年「ユーサリ」。
二人の「星の旅人」の物語。

Twitterでお題を募集して書かせていただいた「天体お題」シリーズと、2014年発行の本「Milkomeda」からの再録を中心に、ひとつの物語として再構成した短編集です。

 夜空を見上げた。
 雪は絶え間なく螺旋を描き、じっと見ていると眩暈がした。
 その隙間を、小さな光が揺らめきながら渡っていく。
 渡り星、と。
 僕は、呟いた。あの小さな光のひとつひとつが、言葉と想いを運ぶ。その光が雪に反射して、硝子屑のように細やかな光を散らしていた。
「あれは先を急ぐ渡り星だ。誰か死んだんだろう。そうでなければ、雪の晩に、星なんて」
 彼はそう言って、僕を小屋の中に招き入れた。
 草ぶきの屋根の小さな小屋だった。彼は煙管を手に、ゆっくりと煙を吐き出していた。傍らには年老いたフクロウが、そっと彼の体によりかかり眠っていた。
 彼は、雪に似た銀色の髪と、鯨の故郷のような青い目をしていた。
「しばらく休んでいけばいい。この雪では、先を急いだところで、何処にも辿り着けない。たまにいるんだよ、君みたいに無謀な人」


 これは、彼が雪の晩の退屈しのぎにと話してくれた物語だ。
 遠い昔のことのようでもあり、
 ついこの間の出来事という風でもあり、
 あるいは遠い未来の物語なのかもしれなかった。
 また、遥か遠く、僕が決して届かない場所の出来事かもしれず、
 この森を超えたすぐところの出来事のようにも思われた。

「どちらでも構わないよ。物語は言葉で、言葉は何億年も、何億光年も旅をすることができるのだから」


神様が作った、旅への道標
よい小説であるかどうかは、最初の数行を読めばわかると思っている。
ある読者は「タイトルを見ただけでも分かる」と言っていて、さすがにそこまでは自信ないけれど。

とにかく「ペルセウスの旅人」を開いてわずか数行、いきなり世界へと引き込まれた。
最初に得た感覚は、「透明感」だった。
そしてその「透明感」は、ついぞ失われないまま170数ページ先の結末へと至った。

この「透明感」は何処からくるものだろう。
透明な世界ではあるけれど、世界観がそれを与えるのではない。
表現や文体も美しいものではあれど、この透明感を説明するには足りない。
だとすれば、透明感をもたらしたものは作者の持っている「この物語への矜持」ではないか。
作者の筆跡からは、物語への迷いを殆ど感じなかった。
ただ導かれるままに、短編集のような形をした作品たちは物語から物語へと歩みを進めた。
まるで、神様が書いたみたいだと思った。
それを、「神話」と呼ぶのかもしれない。

「ペルセウスの旅人」は、旅の話である。
ローレンとユーサリというふたりの旅人が、
ときにはふたりで、あるいはひとりで、
様々な人々とのちいさな出会いと別れを繰り返す物語だ。
ひとつひとつの物語は短くて、それでもひとつひとつの物語が、
あるいは現れる人物が、しっかりとした役目を持っているのが分かる。
役目を持つということは、生きているということだ。
この作品は旅をきっかけにして、人生を語る。
この作品の印象的なモチーフとして「時計」がある。
規則ただしく回転を止めない時計は、繰り返される短編そのもので、
それはわたしたちの人生とも相似する。

旅をしたくなる小説だ。
何処へもいく宛てなく、強いていえばユーサリのようにちいさな「理由」だけを携えて、
探しものをしたくなる小説だ。
ローレンはユーサリに言った。

「僕を、君が選ぶんだよ」

「いつか必要になる。君が選んだんだということを、君が必要とするときがくるんだ」

本を読むことだって、旅みたいなものだ。
読みたい本を、君が選ぶんだ。
そうであったということが、いつか必要になるかもしれない。

そうして選ばれた本が「ペルセウスの旅人」であったなら、私は嬉しい。
推薦者あまぶん公式推薦文