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神様。 |
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外面に、内面に欠損を抱える「にていない」きょうだいの物語。静かな語り口はそれこそブルー・ライトで照らされる水槽の中をのぞきこんでいるような、透明で硬質な隔たりの向こうにうつっている映像を、もどかしく思いながら見ているような気持だった。 「誰も愛さないで・誰ともかかわらないで」ただひっそりと存在し生存している神無がいとおしい。 きょうだいのなかで、上の子、というのは、常に自分の欠陥を恐れているものだ、と私は思う。生まれてきただけでありがたがられていたはずの自分自身、ただそこに「ある」だけで愛されるに足る存在だった己を知っているがゆえに、次に何かが生まれてきたとき、本当は自分は足りぬ存在で、たった一個しかなかったがゆえに愛されていたのだということを自動的に知り、あきらめてゆかねばならない生き物だと。 神無、という名は象徴的だ。「神などなくとも強く生きられるように」というその名づけは、はじめから、神を欠いている。自分が、誰からも無条件で愛される存在ではない、ということをはっきりと知らしめられてある名だ、と。神無は、神でなく、神を持たぬゆえに人間にも足りぬ存在なのかもしれない。 それに対比するように、みなに愛されて「天使のよう」とまで言われる晶馬は神無の愛に飢えている。それは「餓(かつ)え」とも表現できるくらい乱暴だ。夜中に、神無の寝室に忍び込み、その携帯電話の着信履歴とアドレス帳を執拗に確認する行為は、晶馬にとっては精神安定剤であるけれど、わたしの目にはすこし狂気的に映った。 小さな水槽のような「家庭」のなかで、領域侵犯のような甘えを繰り返して、晶馬はその神無の愛情を確かめ、試し、要求する。引きずり出そうとする。それは時に幼稚であり、時に巧妙で狡猾で、愛されたいという望みはこんなにも暴力的なものなのか、と恐怖すら抱いてしまう。 愛することと、愛されることはとても近くにあるように思うのに、愛したいと望むことと、愛されたいと望むことは、とても遠くにある。 新しく生まれなおした晶馬と神無が、これから築く愛のかたちが、寄り添いあってゆけるものなのかそうでないものなのか。二人が深海のように閉塞された楽園を築けることを、祈りたいと思った。 | ||
推薦者 | 孤伏澤つたゐ |
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感情を表に出さない兄は、ひそかに死の恐怖に取り憑かれている。 一度、死に瀕した弟は、記憶を失い、生きる拠り所を失った。 寄り添うように生きる兄弟は、お互いにすれ違いながらも、求めあっている。 作品は終始、「死の匂い」が漂っていて不穏。 孤独な兄弟は、深海に沈んでいくようにうつろな日常を営んでいる。 作品は遺伝子操作などのSF的でドラマチックな設定を組み込んでいるが、 物語はアンバランスなくらいに淡々とした筆致で描かれる。 象徴化された「金魚」のモチーフによって揺らぐことなく一貫したストーリーが進む。 整った文章で、伝えたいものがきっちりと定まっており、読み応えがある。 | ||
推薦者 | 宇野寧湖 |