出店者名 ヨモツヘグイニナ
タイトル BBHHH
著者 森瀬ユウ
価格 700円
ジャンル 純文学
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紹介文
 生まれつき右目が欠い兄の神無。デザイナーチャイルドとして生まれ、美しい顔をした弟の晶馬。晶馬には、毎晩兄の神無が就寝した後に彼の携帯電話を覗くという少し変わった日課があった。
 誰よりも兄のことを慕う晶馬が抱えるその「秘密」とは。

 ある日を境に見えるようになった幻覚のクラゲ、
 唯一心を許せるカウンセラー、空気のように存在感がない父、
 そうして少しずつ明らかになっていく兄弟の心。

 似てない兄弟を中心とした、「家族」の物語。

長編|A6|244頁|700円

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 神様。
 ではない。
 神ちゃん、と、晶馬は呼んでいる。神様がいないと書いて神無と読む。つまり「神ちゃん」。神無とは晶馬の兄の名前である。
 長年、晶馬は兄である神無のことを名前で呼んでいる。彼は晶馬が「お兄ちゃん」と呼ぶと怒るのだ。晶馬の記憶がある限り、神無はずっとそうだった。
 何故神無が兄と呼ばれることを拒むのか。理由を尋ねたことは一度もない。訊いても教えてはもらえないだろうと晶馬は思う。
 今でこそすっかり慣れてしまっているが、かつては何度も口にしてはその度に怒られた。神無のことは兄であると教えられていたから、そう呼ぶのが当たり前だと思っていたし、そう自分自身に言い聞かせてもいた。
 今でもはっきりと覚えている。
 かつて神無の機嫌が最悪とも言える時に、うっかり「お兄ちゃん」と口を滑らせてしまったことがある。その時に彼が浮かべた表情が忘れられない。
 思い切り眉を寄せてその目尻を鋭く尖らせた、照れなどという生優しいものではない、 あれは嫌悪であったと、晶馬は今ではそう思っている。
 ただ当時はそんな兄の顔が自分に向けられたことが恐ろしかった。嫌われてしまうことが怖かった。二度と「お兄ちゃん」などとは呼ぶまいと、そう自分自身に固く誓った。
 それからずっと神無は「神ちゃん」だった。神無ではない、兄でもない、それは晶馬にだけの、ただひとりの神ちゃんだった。

「神ちゃん、寝ちゃった?」
 暗い部屋の中を覗き込んで晶馬は尋ねた。疑問の形を呈していながらも、答えが返ってこないことは知っている。そして返事がないことが肯定と同義だということも。
 部屋に入って右手側の壁に寄り添うようにして置かれたベッド。その掛け布団が人の形に盛り上がっている。
 晶馬は部屋の中に足を踏み入れ、後ろ手でそっと扉を閉めた。
 部屋の中は暖かかったが、暖房は点いていなかった。自動的に電源が切れるようにタイマーが設定してあったのかもしれない。室内が乾燥するのを嫌ってのことだろう。加湿器が稼働する一定の重低音が、部屋の中に響き渡っていた。
 すでに勝手知ったる部屋の間取りだ。何処に何の家具が置いてあるのかも把握している。晶馬は一直線に神無が眠るベッドへと近付いていった。


愛したいと望むことと、愛されたいと望むことは、とても遠くにある
 外面に、内面に欠損を抱える「にていない」きょうだいの物語。静かな語り口はそれこそブルー・ライトで照らされる水槽の中をのぞきこんでいるような、透明で硬質な隔たりの向こうにうつっている映像を、もどかしく思いながら見ているような気持だった。

 「誰も愛さないで・誰ともかかわらないで」ただひっそりと存在し生存している神無がいとおしい。
 きょうだいのなかで、上の子、というのは、常に自分の欠陥を恐れているものだ、と私は思う。生まれてきただけでありがたがられていたはずの自分自身、ただそこに「ある」だけで愛されるに足る存在だった己を知っているがゆえに、次に何かが生まれてきたとき、本当は自分は足りぬ存在で、たった一個しかなかったがゆえに愛されていたのだということを自動的に知り、あきらめてゆかねばならない生き物だと。
 神無、という名は象徴的だ。「神などなくとも強く生きられるように」というその名づけは、はじめから、神を欠いている。自分が、誰からも無条件で愛される存在ではない、ということをはっきりと知らしめられてある名だ、と。神無は、神でなく、神を持たぬゆえに人間にも足りぬ存在なのかもしれない。

 それに対比するように、みなに愛されて「天使のよう」とまで言われる晶馬は神無の愛に飢えている。それは「餓(かつ)え」とも表現できるくらい乱暴だ。夜中に、神無の寝室に忍び込み、その携帯電話の着信履歴とアドレス帳を執拗に確認する行為は、晶馬にとっては精神安定剤であるけれど、わたしの目にはすこし狂気的に映った。
 小さな水槽のような「家庭」のなかで、領域侵犯のような甘えを繰り返して、晶馬はその神無の愛情を確かめ、試し、要求する。引きずり出そうとする。それは時に幼稚であり、時に巧妙で狡猾で、愛されたいという望みはこんなにも暴力的なものなのか、と恐怖すら抱いてしまう。

 愛することと、愛されることはとても近くにあるように思うのに、愛したいと望むことと、愛されたいと望むことは、とても遠くにある。

 新しく生まれなおした晶馬と神無が、これから築く愛のかたちが、寄り添いあってゆけるものなのかそうでないものなのか。二人が深海のように閉塞された楽園を築けることを、祈りたいと思った。
推薦者孤伏澤つたゐ

死を挟んで兄弟たちは寄り添い合う
感情を表に出さない兄は、ひそかに死の恐怖に取り憑かれている。
一度、死に瀕した弟は、記憶を失い、生きる拠り所を失った。
寄り添うように生きる兄弟は、お互いにすれ違いながらも、求めあっている。

作品は終始、「死の匂い」が漂っていて不穏。
孤独な兄弟は、深海に沈んでいくようにうつろな日常を営んでいる。
作品は遺伝子操作などのSF的でドラマチックな設定を組み込んでいるが、
物語はアンバランスなくらいに淡々とした筆致で描かれる。
象徴化された「金魚」のモチーフによって揺らぐことなく一貫したストーリーが進む。

整った文章で、伝えたいものがきっちりと定まっており、読み応えがある。
推薦者宇野寧湖