生えない木
人が腐るのを見たことがない最近の若者はダメだ。命の大切さをわかっていない。
それが、うちのボスのご意見だ。自分だって、実践で見たことはない癖に。ボスが監察医になったころには、もう人身樹木法が完全適用されていたのに。
ばかばかしい。
私は人が腐るところを見たことはないが、人が人でなくなる瞬間は見たことがある。それは、どんな形であれ、グロテスクで、疎ましくて、神秘的で、もの哀しい。
我々、監察医の仕事は時間勝負だ。ご遺体が亡くなってから七十二時間後には墓地につれていかなければならない。これでも二十四時間だったころよりはマシになったけど。
時間がないため、人身樹木法適用前よりは、オートプシー・イメージング、死亡時画像診断の技術が格段に上がっている。CT、MRIで画像データを残しておけば、ご遺体が木になった後でも十分に検証が可能だから、というわけだ。
「一人暮らしのご自宅で亡くなっているのを、大家が発見しました。最後に見回りをしたのは、一昨日だそうです」
今回運ばれてきたご遺体は、すでに腕の先が枝化していた。
「あんまり時間、ないね」
ため息混じりにつぶやく。一人暮らしの人間の家は毎日決まった時間に見回ること。それが大家、管理人の義務だが、馬鹿正直に毎日見回る人間はあまりいない。人身樹木法が改正され、時間が長くなってからは、なおのこと。彼らにしてみれば、木になる直前にでも発見でき
て、自分の家さえ壊れなければいいかもしれない。しかし、その分我々の仕事の時間は短くなるのだ。
人は死後、手足などの末端から木になっていく。それを知っている人間はあまりいないかもしれない。柔らかい人間の肌に、硬い木が生えている。爪の代わりに、枝が。緑の葉っぱが付いた枝が生えている。
ねぇ、ボス。この姿をグロテスクで、疎ましくて、神秘的で、もの哀しいと呼ばなくて、なんと呼ぶの?
少しずつ、木の部分が増えて行くご遺体を見ながら思った。
結局、死因は脳梗塞だった。