「いいなぁ」
未珠花は小さくつぶやいた。運動場にいる子ども達を見ていると、自分の置かれた現状がひどく惨めに思えてくる。
「どこか遠くへ逃げ出したいな」
はっとして、首を横にふった。あわてて考えを改める。
何を言っているんだ、私。今までの苦労を水に流すなんて、できやしないのに! そもそも、ここから逃げれるわけがない。逃げ出してどうする。しっかりしなくては。
冒険物語のように、なんて、夢をみている場合ではないのだから……。
未珠花は幼い頃から読書が好きだった。特に冒険や探検記といったジャンルが好きだった。
しかし、塾の勉強量が増えてきた、四年生くらいからだろうか。逃げてはいけない、その一言で、冒険への憧れを否定するようになった。
一人娘、周りの大人からの期待を一身に背負っていた。中学受験というレールに乗ったが最後、もう二度と降りることは許されないと思っていた。
プレッシャーに押されるまま、未珠花は、自分の内にあった望みすべてを諦めてきた。ピアノだってバドミントンだって習い事は全て辞めた。『志望校』に合格するために、何よりも勉強を優先してきた。
それなのに。六年生になり、膨大な宿題と、頻繁な成績評価の板挟みにあうようになり。
限度をこえた疲労から、彼女は、とうの昔に諦めていたはずの夢を度々思い起こすようになっていた。
もし、塾に行かずに済むのなら。中学受験をめぐる、この熾烈で不毛な競争から開放されたなら……。
「その本音、大切にしなよ」
たたみかけるように、背後から声がかる。
「ふぇ?」
ふいをつかれ、とんきょうな声を出してしまう。あっと口をおさえてふり返った。いつの間にか誰もいなくなっていた教室に、いつの間にか男子がいた。そいつは分厚い本を読んでいた。
「い、居留江くん! いつからいたの……?」
未珠花は控えめに尋ねる。対する彼は、本から視線をあげて前を向く。未珠花とは目もあわせないのだが、さりげなく忠告してきた。
「休み時間、あと八分しか残っていませんよ」
「ほんと?」
「時計を見たらどうですか」
未珠花は黒板の横にかけられた掛け時計に目をやる。彼の言うとおりだった。
休み時間が終わる五分前には予鈴がなり、生徒たちがどっと運動場から戻ってくる。それまでにノートを仕上げておかないと、厄介だ。
未珠花はすばやく席に戻った。またあの謎の紙が目に入るも、それどころではなかった。