「あら」声は黒い女の唇からこぼれ落ちた。艷やかな声に相応しい、艷やかに赤い唇だった。同性の目にも蠱惑的な。
「お客様がいらしたのに、教えてくれなかったのね」ネッド、と、これはおそらく男の名だ。柔らかくも咎めだてる響き。
「マダム……」呼びかけに応えた男の顔色は蒼白だ。恐怖に竦んでいるかに見える。愛理の身も竦んだ。
「可愛いひと」女は今度は確かに愛理に向かって声をかけた。「戻ってらっしゃい。ここは目的の駅ではないのでしょう?」
思考するより前に身体は動いていた。ホームに下ろしかけていた足を戻した。目の前で扉が閉じた。列車は再び動きだした。愛理を閉じ込め、運び始めた。駅の淡くも心強い灯りを後に、闇深い地下線路の伸びる奥へ。
「わたくしの方をご覧なさいな可愛いひと」
言われるままに向き直っていた。女が、顔の上半分を隠していたストールの垂れ下がった端に両手をかけた。一動作のうちに引き上げ、寛げ、引き下ろした。肩まで。
波打つブルネットに縁取られた白磁の美貌が露わにされた。二つの熾火が見えた気がした。優美な曲線を描く眉の下。睫毛に縁取られた瞼の間に。
意識はそこで途切れた。