第六話「大阪ダンジョン」
2011.08.21(Sun)
はいはいははーい。
というわけで。
ねー

夏らしさを探す企画「夏王」、
久々の更新なわけですけども。

今回の行き先は「大阪ダンジョン」でした。
要は、改装された超巨大駅
大阪駅の駅ビルの中です。
ルクアとかね。

まあゆーたら、超メジャーな場所ですね。
お前は関西ウォーカーか、てぐらい。

大阪の駅構内というのは
めっちゃ入り組んでいることで知られてます。
特に今回新しくできたルクアあたりは
それの象徴的な場所かと思い
ダンジョンに見立てて行ってきたわけです。

宝探し、
書いていきましょうか。


今回の「縛り」が2つあって、
ひとつは「地図を見ないこと」
ひとつは「お金を使わないこと」
ダンジョンには、どちらもありませんから。
お金は使えませんので、
持っていった1本のペットボトルが命綱です。


阪神梅田駅が起点です。
地下ですね。


新しい駅ビル内は
神殿のよう、というか
宗教的なものを感じてしまいます。


ルクアに到着。


エレベーターが壁に溶け込んで
意外と気づかないのですよ。
隠し扉みたい。
何かがある。


迷路をモチーフにしたような
へんな看板が暗号のよう。
地図を見なかったので
かなり迷いました。


エレベーターが未来のよう。


巨大ホールを抜けて上へ上がっていきます。


地図は見ないので
唯一のヒントはこの模型です。


人がたくさんいても
誰もいないのと同じように感じる。


吸い込まれるように上に上がっていく。


雨の中、大阪の町を見る。


そして、駅ビルの一番高いところへ。


一番上には、農園がありました。

妙、なんですよ。
だいたいこういう超高層階、
それも屋外という場所には
高さからくる恐怖があるはずなんです。
それが、この場所にはない。

奇妙でもあり、
絶妙でもあります。
つまり、ひとつのコマーシャルスペースとして
よく出来ている、ということです。

この場所には「死」を感じません。
と同時に「生」も感じません。


「死への恐怖」は「生への執着」です。
表裏です。
と同時に、「生きようとすること」は
その裏にある「死」を逆説的に
浮かび上がらせてしまいます。

「死」からある意味で逃れるには
「生」への執着を捨てることです。

といっても、単に「生」への執着を捨てるだけでは
逆に「死」に近づいてしまうことでしょう。
アスリートが云う「力を抜く」ことが難しいように
「生死観への悟りの境地」というのは
ずっと昔から、困難な課題とされてきたはずです。


さて、「悟り」の状態というのは
要は、何も考えていない状態だと云われます。
それを「生死観」に当てはめれば
「生のことも死のこともどちらも考えていない状態」が
理想的な状態なのだと思います。


建築物の造形を見て、どこか宗教的なものがあると書きました。
だからこそ、こういうこともつい
頭をよぎってしまうのです。



開かない扉があります。


「アート」と云うなれば
建物自体が「アート」です。


隣のビルに入っていきます。


エスカレーターが音をたてて鳴いています。
これは、写真には写りません。


ねえ、思うんです。
「悟りの状態」つまり「何も考えてない状態」って
要は「何かに集中してる状態」なんじゃないかって。
そんで、それに一番近いのって
「楽しんでる状態」なんじゃないでしょうか。


大阪ダンジョンには、それがあります。
見るひとを夢中に楽しませてくれます。
だから、ここには「生」も「死」もない。
「あるがまま」でいられる。
宗教的なことをいえば「空」ですよね。


お金を持たずに、
こういう場所に行ってみてほしいんです。
あなたの頭に「死」がよぎることがあれば。
そんで、ただ楽しんでみてほしいんです。


とかいって、
これ買いそうになったけど!


東急ハンズとかねー。
誘惑度は、ハンパないですよ。


すっげー
で、ピタミンってなに?


下に降りていきます。


楽しんでいるひと、というのは
すっごくいいオーラがあります。


いちばん下まで降りてきました。
もう、なんもないです。


水がちょうどなくなりました。


今回の宝物は
「からっぽ」でしょうね。
いっぱい、いーっぱい楽しんで
お金使わずに、目で、耳で、鼻で
たくさん楽しんで、
楽しみきった。
からっぽ、になりました。

からっぽになれば、
たくさんのものが入ってきます。
いいものも、わるいものも、あるでしょう。
けど、ぜんぶ受け入れていきます。
受け入れることができます。

笑顔で、生きていくことができます。


さて、いつもその場所をテーマにした詩をアップしてますが、
今回はこれで。

好きなものを好きなだけ好きでいよう。

原案は、広島東洋カープの元トレーナー
鈴川卓也さんの言葉なのですが、
いつか、自分の言葉として、
作品にできたらと思ってます。

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