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朱鷺色の空の端にまだうっすらと濃紺の夜の名残をとどめる朝、私は唐突に目を覚ました。夜中じゅう開け放っていた窓からはまだ排ガスに侵されていない清冽な空気が日焼けしたレースのカーテンを揺らしている。ベッドの上で思い切り深呼吸すると、朝露に濡れた生まれたての空気の味がした。 |
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見つめることすらためらわれるようなうつくしい表紙をひらき、繊細に紡がれてゆく言葉のひとつひとつをひろう行為もおそるおそるだった。草葉の隙間から咲き誇る花を覗き込むようにしてしか物語をひもとけない。しげみをかきわけるような無粋をしてしまえば、花は散ってしまうだろう。そんな緊張感でもって、四篇の物語として切りとられた瞬間の永遠を、細心の注意をはらってページをくってゆく。ふれれば壊れてしまいそうな、という言葉がまったくもってふさわしい短篇集だ。 なんの本だったか、おさないころに読んだ本で、タイトルを思い出すこともできないが、そこにあった「花うずみ」という言葉だけをおぼえている。地面に穴を掘って、花を入れ、ガラス片で蓋をして埋めなおす。そうすると地中でその花は、永遠に咲きつづけるのだという。 この本を読んだとき、真っ先に、その「花うずみ」を思い出した。 はかなく壊れやすい恋や、少年たちの一瞬や、少女たちの決して永遠にはなりきらない関係を、自分だけのたからものとしてそうっと隠す。 誰のためでもなく咲いた花を、すこしの我欲と、花へのあこがれを込めて永遠に咲きつづけますようにと祈りながら。 「蓮は蕾が開くとき音を出すんだ。なんとも言えない清らかな音を発するそうだよ」 「蓮の音を聞くまでは、一緒にいてもいいよ」 「くちなしの花はね、天国に咲くのよ」 蓮の蕾が開くとき音をたてるのかを私は知らない、そして、くちなしが天国で咲き誇っているのかも。 けれど、その遠くまだたどり着いたことのない約束の地でかれらが咲いているということを、信じることと祈ることはできるのだ。 ガラス片に花を閉じ込めるように本を閉じる。ものがたりにえがかれた一瞬が永遠にみずみずしくありますようにと願う。 ――そしていつか、もういちど、この本を開くとき、ささやかな願いの成就されていることを、きっとわたしは発見する。 | ||
推薦者 | 孤伏澤つたゐ |
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「純文学」というよりは、「純度の高い文学」というべきかもしれない。 お酒でいえばウォッカとかジンとか、そのへんだ。 読んでスカッとしちゃえ。 「キスとレモネード」は、 「緑のまにまに」 「メルトダウン」 「夜に溺死」 「ソーダ水の午後」 の四篇からなる短編集。 なんというか、書き込みが丁寧なのだ。 描かれているものへの愛着を感じる。 僕の好きな都都逸に 恋に焦がれて鳴く蝉よりも鳴かぬ蛍が身を焦がす というのがあるんだけど、 彩村さんはその蛍のように、彼女がきっと愛している対象のことを 声に出さずただひかるように、丹念に描いている、気がする。 それを読んでいて、美しい、と感じるのだと思う。 「緑のまにまに」「ソーダ水の午後」の二篇が特に好き。 緑のまにまに、は、 主人公とその彼氏とが植物園で過ごす何気ない日々が 淡々と描かれている。 エッセイに近いかもしれない。 萌緑色の夏くさい「あたりまえのこと」がゆっくりと心に染み渡ってきて、 とても豊かな気持ちになる。 「ソーダ水の午後」は、 幻想風のお話。主人公が、ふしぎな女の子と海に行く話。 夏ってね、そうなんだ。すこしおかしくて、生と死の境があいまいになって、 何処かに行ってしまいそうになる。 何処か、というか、行き先は海しかないんだけど。 主人公と女の子が海を見つけたときの描写がとても淡くて、やさしくて、 ああこういうふうに海を見つけたいな、と思ってしまった。 言うてる間にもうすぐ夏が訪れるので、今年はこんな海に出会えるだろうか。 夏が楽しみになる一冊だ。 | ||
推薦者 | にゃんしー |