Prolog ある日曜日、指が六本ある人と愛しあい、その指を一本ずつ丁寧に舌で愛撫するという淫夢を見たゆりは、六本目の指が何を暗喩しているのかを考察するよりも、ただ自然の神秘に感動し、其れをみじかい文章にまとめました。 ゆりとゆらが出会ったのは、寒い冬の晩に開かれた朗読会で、その夢の話を発表したときのことです。
「こんばんは、わたしはゆり」 「こんばんは、わたしはゆら」 ふたりは握手の代わりに硝子の酒盃を、かちりと鳴らして乾杯をしました。 「なにを飲んでいるの?」 「檸檬入りの火酒」 ゆりは酒盃を揺らして底に沈んだ檸檬を浮かび上がらせようとしましたが、お酒はほとんど残っていませんでした。 「偶然ね、わたしも同じものよ」 ゆらは酒盃を掲げて微笑みましたが、やはりお酒はほとんど残っていませんでした。ふたりは顔を見合わせて笑うと、炭酸水で割った火酒を注文し、もう一度乾杯をしました。
Epilog 活字工になってからは数年頃のゆらでしたが、朗読工になってからは数ヶ月しか経たない夜のことです。ゆらは覚束ない朗読のテキストを持って、トランクのなかの詩の朗読会にふらりと出掛けました。その場所で、ゆりとゆらは初めて出逢ったのです。
その夜、ゆりは碧の鳥のような色をした古風な衣装でした。ゆらは青い鳥のような色をしたエプロンをしておりました。 二月の夜でした。ゆりもゆらも誕生日の月なのです。 ゆらはその頃日々をあいまいに過ごしていたので、その日も殊更うっすらと座っていましたが、朗読をしている女の子の声がしなやかに響いたとき、瞬間、我に返りました。
あゝお母様 良いではありませぬか 今日は日曜日ですのよ。
その古風な言葉を、ふさわしいうつくしさで彼女は発声し、詩を締め括ったのです。皆が手を叩き、そして朗読会は休憩時間になりました。 並んだスツールの向こうに彼女がいました。 はにかむ気持ちを抑えて、ゆらは尋ねました。 「私、ゆら。貴女、何を喫んでいるの?」 「薄荷煙草よ。私、ゆり。貴女、何を呑んでいるの?」 「檸檬水。でも、もうヴォトカに替えるところ」 「私も同じ、ヴォトカを頼もうとしていたの」 ふたりはちょっとわらいました。ふたりとも、東欧生まれのその冷たく燃える液体を愛していたのです。
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