なにか、……そう形容するほかないそれは、物体とか物質とかいうものではない気がする。わたしは、持ちうるすべての感覚を総動員し―おもにしごとをしていたのは視覚だったが―知りうるわずかな言葉の枠にその奇妙なものをさっさとおさめてしまいたかった。名状しがたいものを、定義づけして安心したくて必死で、養父が、ドアを閉めたのちに発した声については聞き逃してしまった。 眼球の細部にまで注意をめぐらせてそれを見つめていた耳もとで、とろんとした声が、もういちど。 「貘はどんなかたちをしていますか」 それでようやく、顔をあげた。 貘。そうか、このケースのなかのものは、そんな名称なのか。 わたしはすこしだけ、安心する。それに名のあったことを。そしてすぐに、不安になる。養父の問いに答えることができなくて。 かれがそれを貘と呼ぶまでに、わたしはわたしにあるかぎりの比喩や擬態語を総動員させて眼前のケースのなかみを形容する試みをくりかえしていて、すべてが失敗に終わっていたのだ。 無言の困惑に養父はうなづいて、ガラスケースに視線をすべらせた。 「実をいうと、わたしには、貘は見えないんです」 養父は、まだ貘の形状についてあれこれ考えているわたしからはなれ、ささやかな足音で机のところまでゆくと、ひきだしからノートとペンをとりだした。 机におかれたノートを見れば、表紙はくすんだ砂色で、背の部分には黒いテープがはってある。表紙をひらくと、罫線がひかれただけのまっさらな紙面。 「これに、貘の状態を書いてください」 ペンがノートのあいだにころがった。装飾はないが首軸にむかってゆるやかにふとくなっているペンで、ペン先は錆が浮いてくもっていた。 わたしは首を横にふる。文字を書いたことがなかったので。 養父は、ふむ、とちいさくうなり、椅子をひいてわたしを呼んだ。座るようにうながされ、腰をおろすと、座面におかれたふかふかのクッションがわたしのおしりを拒むようにはずんだ。 「利き手はどちらでしょうか」 ペンの持ちかたすらおぼつかないわたしの手を、なめらかな肌の手がつつみ、ただしいかたちに握らせる。ペン先を紙面にあてる角度をいくどもなおされた。頬のすぐちかくに養父のかおがあって、紙に這うペン先があやまった道順をたどっていないかをたしかめるとき、まつ毛がかすかにふるえた。
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