「案ずるな」おおきく無骨な手が伸びて、ぐしゃぐしゃとわたしの髪をかき混ぜる。「余の手の届く限り、そなたを守る。だが、そうできぬこともある。そのとき、そなたは自分で自分の身を守らねばならぬ」 「当然のことです。そのために、わたしは兄上の宮廷で育ったのですから」 兄は自分で乱したわたしの髪を撫でて直すと、下から覗き込むように、脈略のないことを訊いた。 「結婚など、いやで仕方がないのであろう?」 「な……にを、おっしゃいます」 肩にぽん、と彼の手が乗る。 「余もいやだったからな。わかるのだ。図星だろう」 「……わたしには、兄上のような高尚な理由はございません。兄上の宮廷から出るのが、恐ろしいのと――自分が、婿殿の目に適う人間であるかどうか、不安なだけです」 「……高尚か? わたしは、女人が恐ろしかっただけだ。ネーベル大修道院では、女は男を惑わす罪人であると、くだらぬ教えを叩き込まれたからな」 ――くだらぬ。 わたしは、兄が教会の教えをこきおろすのを、初めて聞いた。それほどまでに、還俗後手に入れたものは、彼を変えたのだ。ひとつには、現王妃エルスベトが。 恋とは恐ろしい。ひとを、ねこそぎ変えてしまう。 「侯との婚姻に際して、そなたに知らせておかねばならぬことを、言っておく。……マンフレートには、きょうだいがおらず、叔父叔母もいない。母堂は四年ほど前に、亡くなっている。 ただし、風磐国王家の傍系の姫が、マンフレートの祖母にあたる」 その姫の輿入れの際に手に入れた、風磐の伯領所有の関係上、侯はわが国――野涯国と、風磐国双方を主君としている。比重としては、圧倒的に野涯国が勝るが。 系図をたどると、インゼル侯のはとこにあたる人物が、風磐国側で存命である。その者とは―― 「ゼゲール公ロベルト殿。ゼゲール島とインゼル侯領ツィカーデは、最近通商上の揉め事があったような――」 「ツィカーデの港の利用を妨害されたと、ゼゲールが難癖を付けたのだ。野涯国産小麦の不買にまで発展した。『種無し侯』の小麦など島の畑に蒔けぬ、とな」 「……兄上?」 兄らしからぬ下品な物言いだった。 「余は、マンフレートの上奏を受けて、仲裁に入った。コンスタンツェが風磐国王家のほうから手を回してくれて、紛争は解決、野涯国の小麦の名誉は回復された」 三番目の姉コンスタンツェは、風磐国王太子妃である。 と、いうのはこの際どうでもよい。 「兄上? あの――」
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