出店者名 バイロン本社
タイトル Et mourir de plaisir
著者 宮田 秩早
価格 500円
ジャンル ファンタジー
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紹介文
短編集。
歴史風味から幻想小説風味、異世界ファンタジー。すみからすみまで吸血鬼小説!
下記4編のほか、べつの物語の登場人物たちが、世紀を超えて出会う、幕間、終幕の掌編含めて計6編を収録しています。

文庫/132ページ

「血族」……18世紀、ヨーロッパの諸都市を旅する美しい母と子の物語
「黒い海、祈りの声」……17世紀、アゾフ要塞奪還戦に従軍した青年が、帰り着いた故郷でみた悪夢
「望まれざる帰還」……(異世界ファンタジー)王族としてのちからを持たず、公共工事の現場主任を務めるユマが出会った二人組にまつわる秘密の物語。
「ブカレスト、海の記憶」……現代、ルーマニアのブカレストから地中海に花嫁に旅立つ、強迫性皮膚摘み取り症の娘が、吸血鬼と出会う物語。(佐藤こおりさまより発想をいただきました。)

 娘は、チシュミジウ公園の並木道にあるベンチに腰掛けて、鳩をぼんやりと眺めていた。
 ブカレストの冬は、真昼でも日によっては氷点下から抜け出せない。
 晴れているにもかかわらず、空はくすんだような色合いで、冬枯れの公園は寒々としていた。
 春にはとりどりの花が咲き乱れ、青葉に萌えるチシュミジウ公園。
 目を閉じて、娘はブカレストの春を思う。
 子供の頃には、毎年、こころ待ちにしていた春。
 ……わたしは来年の春にはこの街にはいない。
 自分をのけ者にして、われさきにと命を輝かせる世界。
「……いやよ」
 それは、だれに聴かせるわけでもない言葉の泡だった。
 ぷくりと口からこぼれて、冬のくすんだ青空へと、ゆらゆらと昇ってゆく。
 なにもかもが煤けて息苦しいこの街にうんざりしていたはずなのに、この街を出るのが決まったとたん、街に棄てられたような気持ちになる。
 棄てようとしているのは、わたしなのに。

(中略)

「お姉さん、それ、ちょうだい」
 少年は娘の手を指さして言った。
「だめよ、これは大切な……」
 娘の左手の薬指には、婚約指輪が嵌まっている。
 海を知らなかった娘に、煌めく夏の海と、エメラルドに輝く一面のオリーブ畑を教えてくれた人が、嵌めてくれた指輪。
 銀製で、小さな蒼いトパーズが飾られている。
 祖母の形見の品だという。
「ちがう」 
 少年はすこし苛立ったように言い、娘の右手を取った。
 それではじめて、娘は顔をあげて半ズボンの少年の顔を見た。
 黒々とした瞳が美しい少年だった。
 緩やかに巻いた黒髪は肩のあたりで切りそろえられ、少年の白い頬を縁取っている。
 色彩に乏しい少年の端正な顔立ちのなかで、くちびるだけが紅を掃いたように朱く、艶やかだ。
「なにが、欲しいの?」
 娘の問いに、少年は無言のまま、答えた。
 手に取った娘の右手を恭しく捧げ持ち、爪の根元に舌を這わせる。
 荒れた指先にできた逆剥けの皮を執拗にめくってしまうのは、娘の悪い癖だった。
 おかげでいつも指先は傷だらけで、たくさんの血珠が浮いている。
 いまも、そうだ。
 うっかり手袋をし忘れていたせいで、将来のことを思いながら、まためくってしまった。
 外気の冷たさに悴(かじか)んだ指先に浮いた血珠は、滴り落ちることなく珠のまま乾き始めている。
 その血の珠をひとつひとつ、丹念に舐めとってゆく少年を、不思議なことに娘は気味悪くは思わなかった。


(「ブカレスト、海の記憶」より)


吸血鬼のさまざまな魅力が味わえる短編集
吸血鬼の物語として、短編集として、楽しめる一冊でした。

全部で6つの作品が掲載されていますが、ひとつひとつ物語のテイストや吸血鬼のイメージが異なるのが魅力的です。
「血族」は吸血鬼の美しさが夜ごとに増していくような物語で、耽美的な雰囲気を味わえます。
「黒い海、祈りの声」は人間と吸血鬼の怖さが迫ってくるホラー小説。さまざまな意味で怖い。
3作目は「血族」と「黒い海、祈りの声」に登場した吸血鬼たちをつなぐ幕間の物語。シリアスな雰囲気が続いていたところにゆるやかな空気が流れます。この次の、少し長くて重いお話を読む前のひと休み。
4作目は異世界の吸血鬼を描いた「望まれざる帰還」。隧道工事というマニアックな内容をメインとしながら、神話と歴史、その隠された部分に光を当てた作品。短編集の中で唯一他とつながりのない物語。全部同じ世界感で通したほうが一冊としての一体感は出ると思うのですが、そこに別の物語を入れることで不思議な面白さが出ています。お話自体も一番長く重く、読み応えがありました。
5作目、「ブカレスト、海の記憶」。ひとの視点から語られた吸血鬼モノ。ゆるやかな感情が渦を巻いてとき離れていくような物語。
そして終幕は「血族」「黒い海、祈りの声」「ブカレスト、海の記憶」に登場する吸血鬼たちの夜。吸血鬼たちの物語はこの後も続いていくのだと予感される終わり方で、サブコピーの「吸血鬼たちの夜の物語集」にぴったりでした。
吸血鬼が好きな人にはもちろんですが、吸血鬼モノは読んだことがない、という人にもおすすめしたい一冊です。

それから、短編集をつくってみたい、または今まではとはちょっと違う短編集を、と思っている人にもおすすめ。
物語ひとつひとつのテーマがはっきりしていて、そのカラーがきちんと出ているのはもちろん、それらをつなぐ物語にも役割をもたせています。読者の呼吸を意識した掲載順でとても読みやすかったです。
また、前述した通り、短編集の中にひとつだけ別世界の物語がありますが、おそらくその物語と他の5作品の重さ、みたいなものがちょうど同じぐらいな感じで、それが本の真ん中にあることでとても良いバランスが保たれた一冊になっていると思います。ここまで計算してつくられたのだとしたら凄いなぁと。
自分が短編集をつくるときにお手本にしたいです。
推薦者なな



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