人間の愚鈍さに敗北する天才の絶望は鮮やかで美しい
書籍名 告げ口
作家名 merongree
購入イベント 文学フリマ東京
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紹介文
 秦国を舞台にした少年漫画「キングダム」の二次小説としているが、キングダムはあまり関係なく、史実+オリジナルの純文学と言った方が正しい。原作を知らない私でも面白く読めた。

 将軍を輩出する名家に生まれた二人の兄弟が主人公。

 蒙毅には幼少のころから天才児と誉れ高く、武人の子息には不釣り合いな少女のような美しい容貌を持つ兄、蒙恬がいた。時に気の病にとらわれては取り乱し、長い眠りから覚めない兄の不可解な習性に戸惑いながらも兄を慕う蒙毅はいつからか、軍の学校に通い始めた自分をしり目に屋敷で眠り続ける兄に向かって「兄上にあったかもしれない架空の一日」を語り始める。そばにいてくれない寂しさと、兄が期待通りに生きてくれない不満のなぐさみのため、蒙毅が自分に課した儀式だった。

 兄にまっとうな武の道を歩んでほしいと世話を焼き続ける蒙毅だが、彼の献身からは「あれこそが我が兄」と実兄が歴史に残る名将となる様を見届けたいという少年らしく純粋であつかましい願望が透けて見える。物語は、将軍である父、蒙武の戦士を防いだ兄の超常の力を蒙毅が知らされる場面で佳境を迎える。

 私たちはこの良くも悪くも純真で兄を慕う子供らしい弟の視点で兄の告白を聴くことになるのだが、兄の苦しみを労り心配する弟の行動と憐れみこそが、兄に対する最大の加害であったことを思い知ることになる。これまで無垢な弟の視点で語られてきた世界は、兄の人生をかけた呪いの吐露によって覆される。美しい兄、蒙恬の反逆はさながら一生に一度だけ命と引き換えに獲物を刺し殺すことが出来る体内の毒針に運命を託した復讐だったといえる。蒙毅が兄の苦悩を知らないまま能天気にうしろをおいかけてきた10年以上もの月日を、兄、蒙恬は身の内に自分の生に降りかかる過酷さと不条理を材料とした猛毒を蓄えて生きてきたのである。

 しかし、この復讐は「ある原因」によって不発に終わる。常人とは異なる天才がなぜ復讐を完遂できなかったのか、それは本作を読んで確かめ、そして凡人の残酷さに慄いてほしい。一つ言えるのは、不発に終わった弟への復讐によって蒙恬は体内に折れてしまった毒針を生涯抱え込むことになる、ということである。「もし、相手が乞食を弱いと思うのなら、俺は乞食にでも女の気違いにだって化けてみせるよ。その時はお前だって欺くだろう」と彼が弟に言って聞かせる場面があるが、弱者とみなされる者たち、敗北し続ける者たちだけが持ちえる恨み力は肥大し続け、いつか力あるものを亡ぼすだろうというのが彼の知る世界の真実の一端であり、予言であるのかもしれない。

 「復讐の好機を逃しても身に宿り続ける毒の力でいつか兄は自分の願いを成就させるだろう」という、闇の中を駆ける閃光にも似た眩しい期待が、目の奥にちらついた。


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