尼崎文学だらけ
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タイトル その程度の濃さの約束
著者 よしざわ るみ
価格 800円
カテゴリ 掌編
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紹介文
理由もなく、誰かに読ませる気もなく、自分という読者のためだけに、
彼女は(ほぼ)毎日電車の中で淡々と書き続ける。

"とりあえず、タイトルは「wander」にしました。
ワンダー、です。ワンダーフォーゲルのワンダーと同じもので、
目的や道順を定めずにふらつくことなのだそうです。"

ふらふらと、つらつらと、筆跡はおぼつかない。
食事の途中に友達から言われた一言や、
飲み過ぎて終電を逃した日のタクシーでの会話や、
年老いていく両親のことや、忘れ物のこと。

どうでもいいけれど忘れられないこと。
あなたにも思い当たる節がきっとある。

2012年から書き続けているブログ「wander - 極楽はどこだ」より
抜粋した24篇に一部編集を加えた、筆者初の随筆集。
(yuge books 003)

仕事終わりに同僚と飲みに行って話し込んでいるうちに終電を逃し、山手線は池袋止まり。池袋まで帰れただけでもいいか、と諦めてタクシーに乗り込みました。

いつだったか巣鴨のタクシー屋さんに教えてもらったとおり、田端の高台を回って町屋に。まだ地理は曖昧ですが、少しずつこのエリアになじみ始めています。

しばらくタクシーを走らせたところで、運転手さんがフロントガラスの上のほうを指差し「あれ、乗ったことある?」と声を掛けてきました。目を向けると高架橋。日暮里・舎人ライナーでした。「引っ越してきて半年ぐらいなのでまだ乗ったことがないんですよ。行く用事もないし」と私が答えると、運転手さんは「じゃあ明日乗るか」とニカッと笑いました。「用事がある時に乗っても何も楽しくねえや」と。

夜道をすっ飛ばして近所の交差点に辿り着くと、「じゃあ明日旗振って待ってっから!」とタクシー代を20円まけて降ろしてくれました。私はハハハと笑いながら礼を言って帰りました。

家まで数分歩く間に、私は考えました。「さっきの、ほんとかな」と。

いや、本当のはずがないのです。運転手さんも仕事だろうし、私だってもちろん仕事があります。運転手さんの顔もろくに覚えていないし、待ち合わせの場所も時間も話しちゃいないのです。そんなの冗談で、社交辞令に決まっています。それぐらいはさすがの私にも分かります。

けれどもひょっとしたら、と思うのです。さっき指差したあたりに運転手さんが旗を持って待っている姿を想像しました。さっきの口約束を信じず、守らずに放っておいたら、信じて待っている運転手さんはどう思うだろうか。いや、待ってないんだけど。

待ってないにしても、もしかしたら、今日あの高架下を走るたびに昨夜のやり取りを思い出すのかもしれません。運転手さんも、私も、「まさかね」と思いながら互いの姿を一瞬探すのかもしれません。

たったそれだけの、その程度の濃さの約束をしました。


「promise」(『その程度の濃さの約束』より)


エッセイは片道書簡の楽しみ
 日常を綴るエッセイほど、著者を丸裸にする文学はあるのだろうか。
 ちょっと遠出したり、いつもより長く……とはいえ二、三日だが隣県に帰省した話はあれど、日常の枠に収まるもの。評論臭さが鼻につくこともなければ濃さ際立つテーマもない。あるのは、生活の中で体験したこと、そこから思ったこと。それだけである。
 このエッセイが好きなのは、著者のニュートラルな視点や冷静な文章が浮き彫りにしているもので、著者の人柄、人物像と呼べばいいだろうか。つまるところ私はこの著者をとても好きなのだと思う。著者としてである以上に人間として。
 実際に知る人物であるがゆえの加点もあるだろうが、ここに書かれているような話を本人と直接話すことはない。頻繁にではないが会って食事でもしながら話すことも日常の他愛もない話だから、もしかしたら同じ話を口頭で聞いたことがあるかもしれない。なのに改めて本著で著者を知るのは、人が一人で書き綴るところに内省が生じるためだろうか。口頭よりも手紙のやりとりに近いのだと思う。堅苦しくなくくだけ過ぎもせず、感覚的には面識のない相手とするふみのやりとりのよう。それを往復書簡と呼ぶならばこのエッセイは片道書簡、特定の相手に向けたものではない。その分冷静で、気遣いも謙虚さも著者その人を浮き彫りにしている。独り相撲と呼べば語弊があるが、相手の出方に応じて型を変える必要がないことが中庸さが際立たせる。
 個人的に推薦者は幸田文が大好きである。幸田文の「あや」もそう言えば、ふみ、手紙とも解釈できる名前だ。これこそ本当に「見知らぬ人との片道書簡」である。
 幸田文のエッセイ、いや随筆と呼ぶべきか、時代が違うのに今なお瑞々しく近くて遠く佇まいが美しく、立ち止まりながらしか読めない。好きだから読めない。涙が落ちることも多々ある。エッセイで涙が出るのは、今のところ幸田文とよしざわるみの二人である。
 よしざわるみを知らない人にこそ中庸な片道書簡を楽しんでいただけるはず。一頁に一話のボリュームなので、立ち止まりながらでも一日一話ずつでも、質量のプレッシャーに手が止まることなく心に爽やかな風を、しっとりした雨を取り込んでいただけると思う。
推薦者正岡 紗季
推薦ポイント表現・描写が好き