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タイトル 淅瀝の森で君を愛す
著者 まるた曜子
価格 500円
カテゴリ 恋愛
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紹介文
懐こい笑顔で周囲を魅了し、ぽやんと暮らす義姉の連れ子《弟》なあ。
彼の養育を一手に引き受けて真っ当にすべく奮起する《新米姉》まお。
仔猫がじゃれ合うような姉弟のまじらい、あたたかでおだやかな家族の営み。
しかし幸福は好意に崩れる―――

惑う子供達の20年の漂泊。
ふたりの密やかな戦いの日々の先にあるものは―――

 そうして休憩を挟みつつ、勉強が終わったらなあはあたしに寄りかかってあた
しの差し出すお菓子を食べる。足の間になあを挟んで、背中から抱えるようにし
て後頭部しか見えないなあにつまんだビスケットを寄せると半分ほど囓り割った。
 なあは、少し甘えん坊だと思う。全体的に幼い感じがする。
 これだって、最初はなあがムリヤリ膝に乗ってきて、ちょっと気恥ずかしかっ
たあたしが理由を訊くと「ママはそうしてた」ときょとんとした。お義姉さんも、
お兄ちゃんより年上なのにちょっと子供っぽいところがあるから、なんとなく情
景が浮かぶ。そのお義姉さんは今、春菜の世話にかかりきりなので、なあは寂し
いんだと思う。なんと、お義姉さんは初婚だった。なあの実の父親は妊娠したカ
ノジョを置いて消えてしまって、ひとりで産んでひとりで育ててきたんだと聞い
た。「顔はとってもステキだったの。でも子供なんていらないって、捨てられち
ゃった」。お義姉さんは笑ってたけど、そんな人と結婚しなくてよかったと思う。
お兄ちゃんは顔は大したことないけど、愛情ならたっぷり持ってる人だ。今、お
兄ちゃんの愛情は一番に春菜に注がれてて、次にお義姉さんで、なあとあたしが
同じくらいだと思う。だけどお店が忙しくて、なかなかなあまで手が回らないの
が寂しいらしい。正直今までのお兄ちゃんは妹好き過ぎてうざかったので、愛情
が分散するのはありがたい。ほっとかれるようになってあたしはうれしい。いつ
までもお兄ちゃんべったりなのも、ねえ。
 そんなわけで、なあは独占してたお母さんが少し遠くなって、あたしに甘えて
るんだと思う。春菜が産まれるまではお兄ちゃんとお義姉さんと3人で寝てたけ
ど、春菜が産まれてからは朝の早いお兄ちゃんは(泣く泣く)元の自分の部屋で
寝ることになって、なあも新しく用意された子供部屋に布団を移されて、

 その日のうちにあたしのベッドに潜り込んできた。


人を愛することの尊さ
この物語は、子どもの性的虐待を大きいテーマとして取り扱っている作品である。
が、テーマとは別に、この物語の魅力は主人公〈まお〉の愛情だと思う。

〈まお〉は、幼児期に性的虐待を受けていた子ども〈なあ〉を、そうとは知らず、弟のように愛す。
結果としてそれは〈まお〉にとっては悲劇だったのかもしれない。
彼女はそれによってたくさん傷つき、苦しんでいく。彼女自身も、大切に思う〈なあ〉を傷つける。お互いにお互いを傷つけて苦しんで、それでも〈まお〉は〈なあ〉の手を放すことができない。逃げても逃げきれない。〈なあ〉が手を伸ばせば、彼女はそれを突き放すことができないのだ。
それは良い結果を生まないかもしれない、余計にお互いを傷つけるだけかもしれない。
けれど、何度も何度も選択を迫られるたび、自分自身が傷つけられる可能性を天秤にかけて、それでも最終的に〈なあ〉を選び続ける彼女を、私はとても尊いと感じた。
自己犠牲とはまた違う。傷つきたくないという恐れと怯えを抱えながら、間違った結果を生むかもしれないと思いながら、それでも愛した人を信じようとする〈まお〉の心は、抱きしめいほど愛おしい。

「なあは、あたしが育てたんだから!」

この言葉に込められた思いを、読んでみてほしい。
推薦者なな
推薦ポイント物語・構成が好き

苦しみの先にあるものは?
「性的虐待を受けた子ども」をテーマにした作品はたくさんある。「淅瀝の森で君を愛す」もその一つだ。幼少時に大きな性のトラウマを持つ少年〈なあ〉は、美しい容姿と「社会に適応しにくい不安定な精神」を併せ持つ。14歳の少女〈まお〉は、兄の結婚によって〈なあ〉と暮らし始めた。世話焼きの〈まお〉は、常識知らずの甥っ子の面倒を甲斐甲斐しくみる。家族的な絆の中で、〈なあ〉は腹を空かせた子どもが食べ物を貪るように、愛を得ようと〈まお〉を求める。その結果、〈なあ〉は大人になっていく中で、決定的な間違いを犯し、事態は急転する。
 この物語は、虐待を受けた〈なあ〉自身ではなく、彼を救おうとする〈まお〉の視点から描かれている。可愛い天使のような〈なあ〉。そして、相手を愛する方法を知らない〈なあ〉。〈まお〉は、そんな〈なあ〉のありのままの姿を、受け入れようとしながらも、彼の病んだ世界に巻き込まれて傷ついていく。この物語の主人公は虐待の「被害者」ではなく、「その周りの人」である。
 〈まお〉は〈なあ〉との依存関係に苦しみながら、徹底的に「〈他者〉を救おうとする〈自己〉」と向き合うことになる。〈まお〉はその過程の中で、自分もまた、世間一般とは異なる「人の愛し方」をすることに気づく。〈なあ〉との関係があったからこそ、〈まお〉は「人の愛し方」という問題から逃げることができなかった。その結果として〈自己〉のあり方を捉えなおし、相対化していくことができた。この小説は、14歳の少女が、「理解できない〈他者〉」の存在に悩み、葛藤することを通じて、大人の女性として成長し、自立していく道筋を描いているのだ。
 「誰かを愛する」ということは、普遍化して定式化できるものではない。十人十色の愛し方がある。私たちは、それを「当たり前」だと思っている。なのに、日常生活では、ぼんやりと「恋愛」や「家族」のあるべき姿を、勝手に前提にしてしまう。だから、そんな日常生活が壊れて、「当たり前」が通用しない相手と取っ組み合って付き合ううちに、初めてその「人の愛し方」の規範は姿を現す。穏やかな生活を失うのと引き換えに、規範から解放され「愛すること」の自由を手にすることができるのだ。この物語は、「どうしようもない関係」の先にある、いや、あって欲しいと願うような「希望」を描こうとしている、と私は思った。
推薦者宇野寧湖
推薦ポイント物語・構成が好き