尼崎文学だらけ
ブース 企画本部
白昼社セレクト
タイトル 沈黙のために
著者 正井
価格 600円
カテゴリ 純文学
ツイートする
紹介文
死者の言葉が文字になる町、異形の人間とアンドロイド、おばあちゃんと孫が手をつないで団地から逃げ出す話…。SF風味の短編集です。

 馬は放さなくてはならぬ。もう我々が飼うことはできぬ。
 馬の中に冬の群れが混じっていて、それがこの長い長い冬をもたらしているのだという科学者のお告げだった。だから私たちは馬を放し、一頭一頭遠くへ追いやる。もし冬が去ったら、その馬が冬だ。私はそれを追いかけて、撲殺しなければならない。
 馬は何も知らずに階下の小屋の中にひしめきあって、熱を発している。その熱で私たちは寒さをしのいでいる。馬がいなくては長い長い冬を越すことはできないが、この千年もうち続いてきて、そしてこれから二千年も続くがごとき顔をしている冬が、この馬たちの、いや馬たちの中に交じる冬の群れのせいであるならば、私たちはそれをとりのぞかなければならない。
「でないとみんな共倒れだ。我々も、馬も」
 そして、冬を撲殺する役割が、私に任された。
 私が小屋へ下りると、明かりもつけないうちから馬たちが副脚をざわめかせる。私がお前たちのいずれかを殺すものだと、もうわかっているのか。薄暗い中、ときおり馬たちの吐き出す蒸気が、階上からわずかに差し込むひかりを反射する。この中に冬がいれば、凍ってしまわないのだろうか? 冬の群れたる馬が。
 私は小屋の明かりをつける。ぼわっと床が明るくなり、天井に馬の影をうつす。ほっそりとした首と、私の両手でも覆うことの出来る小さな頭と、そこから伸びる副脚は、一度だけみたことのある象牙の塔の床に刻まれたフラクタル模様のように、十分に優美で合理的だが、一番美しい部分が見えない。
 この地方の馬独特の、対称形の八本脚。皮膚は硬く、色は様々で、交雑の結果によっては光沢が出る。だが関節はいずれも柔らかく、この地の氷に閉ざされた冬も、ほんの三週間だけの夏の、泥だらけの地面も、まるで浮かんでいるようにすいすいと渡る。私たちはこの馬の背にまたがって、凍てつく冬も乗りこえ、鉄砲の弾のように走りさる夏へも追いつくことができる。
「何をしている」
 振り向くと兄がいた。兄は私をきびしく睨む。
「来てはいけないと言われただろう」
「別に。ただ、きれいだと思って見ていただけ」
 兄は眉をしかめる。情が移るぞ、とでも言いたげである。大丈夫だ、と思う。私は冷血だから。いざという時にためらったりはしないだろう。それに、情を移すなというなら、もう手遅れだ。私も生まれたときから馬とともに生きてきたのだから。
(「冬の群、馬数ある中の」『沈黙のために』より)


言葉が分子である世界
当たりまえの口ぶりで語り出される、「ここ」と隔絶した世界の短編集。

冒頭「フォスフォレッセンス」で示されるように、本著では言葉が世界そのものだ。表題作「沈黙のために」の街は、語られるだけで私を取り囲んで息苦しく追い詰めるし、「冬の群れ、馬数ある中の」では文字がそのまま存在だから、冬が馬に混じっている(このあたりまで来ると、読み手も、漢字一文字だから同じね、なんてすんなり納得してしまう)。巻末まで辿り着けば概念的ナニカが紙面の「向こう側」にいる私たちを歓迎してくれ、快活に言葉について喋りだす。読み終えて本を閉じても、本の中で出会った言葉たちが、泡のように私に、あなたに、まとわりついて、少しだけ日常を塗り替える。

黙してただ読んでほしい。目から聴こえる世界のために。
推薦者容(@詩架)
推薦ポイント文章・文体が好き

降ってくる
冬の凍える日。つめたい風が吹きすさぶなかに、あなたはひとりで立っているとしよう。頬にあたる空気は痛く、指先は凍りついたように悴んでいる。限界まで体が冷え切ったとき、あなたはその指先を水に浸す。すると、同じく冬の日にあってつめたいはずのその水が、その指にとってはあたたかく感じられることがある。冷えた体に牙を剥くかと思われた水は、あなたに、やさしく寄り添ってくれる。
全6作の少し不思議な短編が集まった本作『沈黙のために』は、そんな本であるような気がする。正井さんの文章は、季節にたとえるなら冬だと思う。ぴいんと張り詰めた、細い糸が集まったような空気、ぱらぱらと降る雪、白く霧のように一瞬生まれては消える息。そんな世界を、わたしは感じる。それに加えて、少しほほえんで、手を伸ばしてくる死のにおいがある。だけど、死は、眠りのようで、深くて、おだやかで、やさしい。さみしいのに、ひとりじゃない。寒いのに、あたたかい。悲しいのに、おだやか。そして沈黙しているのに、とても雄弁。そんなやさしい二面性が、正井さんの文章にはあるような気がする。
また、言葉が持つ密度もとても濃い。選び抜かれた言葉たちである。彼らは自らの意識を持ち、文字という形から自由になって、解体されて、わたしに降ってくる。それは最初に収録された「フォスフォレッセンス」の世界であるかのように。
この本の物語たちは、Twitterに投稿されたものがもとになっていることにもたいへん驚いた。わたし自身Twitterはよく利用するけれど、この物語を紡げるような連続性をわたしは持たせることができない。しかし、前述したようにこの本の言葉たちは自らの意思を持って、ぽつりぽつりと降ってくる。それはまさに、Twitterから生まれたものだからなのかもしれない。正井さんはこのツールを使うことによって、この物語たちを「ことばそのものを楽しむ」ものに昇華したのではないだろうか。
ちなみにわたしは、本作のなかでは「E」と「冬の群、馬数ある中の」がとても好きで、何度も読み返した。これらもTwitterがもとになっている物語だ。
ぜひ、この本に耳を傾けてほしい。沈黙してほしい、彼らの声がよく聞こえるように。
推薦者きりちひろ
推薦ポイント文章・文体が好き