一:女子大生の話
朝八時、私は家を出る。この時間に出て、大学の購買でパンと紅茶を買って朝ごはんを食べるのだ。涼しい風がここちよい。誰もいない構内は絶好の散歩場所だ。 私は駐輪場まで降りた。自転車は壊れかけ。前かごは、とっかえ、ひっかえ、鍵も何回もなくした。タイヤは常にへこたれている。この数年、大学までの道のりを、遊びにいく時の夜の道を、こいつは走ってきた。いつも野晒で、あちこちが錆びている。 この時期は、道端に植わっている植物が青々としていて綺麗だ。家の周りには小さいながら畑もあり、季節によって顔ぶれを変えた。 「っと、」 学校へ行く途中、一軒の家がある。真新しい、一軒家。広い庭があって、小さい畑がある。 ついこの間まで、洗濯ものがたくさん干されていた。小さい子供もいたし、綺麗な奥さんと、真面目そうな旦那さんが住んでいた。その家の軒下に、老人が一人座っている。 タバコを吸っていた、ぼんやりと。視点は合っていなかった。どこかは見ていたのだろうけど、私にはそれを確認することはできなかった。 今日だけか、と思った。ご家族が旅行に行っているに違いない。 しかし、その次の日も、その次の日も、老人は軒下でタバコを吸っていた。時刻は朝八時。
ふと目に入った洗濯ものがいつも変っていないのと、そのぽっかりと物がなくなった部屋に、私は気づいてしまった。 気付かないほうがよかった。彼の家族がどこかへいってしまったことに。
誰もいなくなった家に、あの老人は一人で住んでいるのだろう。やることもなすこともなく、軒下でタバコを吸っているのだろう。雨の日は部屋で寝ているのだろう。夜の一時だけ明りが点く台所。土砂降りでも干しっぱなしの洗濯もの。すこしばかりの家庭菜園。不似合いなトラクター。 彼が見ているのは、どこかにいってしまった家族の想い出なのだろうか。 彼は笑顔で、去っていく家族を見送ったのだろうか。 (とりかご) あそこは彼のかごなのかもしれない。彼は出る方法をしっている。でも、出られない。 (かご、) 任されたのだ。彼は。あの”かご”の番を。
時刻は朝八時。私は家を出る。 彼は、軒下でタバコを吸っている。
とおくで、鶏が鳴いていた。
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