あたしはあなたに触れて、あなたはただ流れ続けている。
あなたは語らないのね。あなたから聞こえてくるのはせせらぎだけ。あなたから見えるのは照明にきらめく水面だけ。 時折、あたしはあなたを飲む。あたしの両掌を椀にして、あなたの水を掬って口に含む。それはとっても清らかで、口当たりはさらりとしている。あなたは少し独特の味をもって、それがあたしを感動させる。あたしが東京の水を唾棄するくらいの感動で、あなたがあたしの唇を通して、歯間を抜け、舌に触れてあたしの唾液も少し混ざって、喉から食道へ、食道から胃腸へ。人体の食物タンクであなたは体液と一緒にプルプルする。それから長い長い小腸と大腸を、あなたは変化しながら、あたしの中で交じり合いながら、幾分かは吸収されながら、悪いものを連れて尿道から排出される。ねえ。そんな時、どこまでがあなたでどこまでがあたし?
ガラス製のリビングテーブルに置かれた一冊の文庫本から流れて、夜の映える窓辺へと流れていたあなた。物言わぬあなた。部屋を水で満たそうとはしない優しいあなた。囁きもしないあなた。
あたしは時折あなたの傍で演技する。詩を読むこともあるわ、あたし。舞台脚本の台本を読むこともあるわね、あたし。あなたの前で喜怒哀楽をかんばせだけでなく全身で表現して、官能的な場面では裸になって自分のエロスについて考えながら演技もする。あなたはあたしの傍で流れ続けて、あなたは清らかで美しい。 ねえ、あなたはどこに行ってしまうの。どこへ流れてしまうの?
あたしは時折の休日をあなたと過ごす。 中天の陽が黄金色にさんざめいて、夕暮れのゴールドオレンジに光るまであなたの傍で目を閉じ続けて、死んだふりあるいは眠ったふりをしてみたり、本当に眠ってしまったりあるいは。 あるいは、海に行く。近場の、しかし、綺麗な海を選んで、房総の方まで。
(連作短編集「アドレナリン・リライト」より<「尼寺へ行っちまえ、これでお別れだ」なんて吐きつける幻想をどれだけの女性が持ってる?>抜粋)
|