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書簡 |
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「文章を書いているとき「うまくなりたい」って思ったことは一切ない」、齊藤さんのつぶやきで印象的だったことばです。もっと切迫しているのだ、と。 「おとなになんかなりたくないね。きみに、こどものように無条件に甘えられたらいいのに。血縁関係になって仕舞えば僕のおこちゃま具合に言い訳が付く。いっそ扶養してくれないかな」(「羊の殉職」) お話の筋やキャラクターではない、理屈やテクニックでもない、本作が読者のこころを動かすのは文章の切実です。 生きているうちにしぜんに身についてしまった筋肉とでもいいましょうか。勝手なこと言いますけど、日々のなかで嚥下した(せざるを得なかった)痛みや街やひとびとや本たちが、齊藤さんの文章をかたちづくっているように思えます。坂口安吾の言葉を借りれば「どうしても書かねばならぬこと、書く必要のあること、ただ、そのやむべからざる必要にのみ応じて、書きつくされなければならぬ。」といった。 本作は5編の短編集です。ハッキリ語られる箇所とそうでない箇所があり、そうっと耳をすますヴォリューム。これ以上語ったらべつのものになるし、もっと隠せば遺書でしょう。明確な着地はありませんが、雰囲気を楽しむだなんて言いたくないビター。 「拾遺」の作品群とのつながりも垣間見え、作家が語るながいながい流れに足を浸す感覚です。水面は揺れ、淀み、わかれる。軋み惑う日々は、あどけないよろこびと往還する。「チーズの燻製」の、自分が使わないイヤリングやマニキュアを、本を読む恋人に勝手につけるシーンが好き。「会社員の彼が朝起きて手の爪についた濃い青を落としているとき、僕は襖のこちら側で背を向けることしかできなかった。」 べつべつの作品集ですが、やはり「拾遺」「りんゑ」、あわせて読むことをすすめます。続き物というのもちょっとちがって、作家のことばを聴きたいから掘り下げたいのです。「さよならストレンジャー」をきいたうえで「アンテナ」をきく意味合い(くるりです)。 上手く書こうとはしていないという文章は、しかし簡潔で読みやすくアソビがあります。そう言われたくないかもしんないですけど、美しい小説だと感じました。安西水丸の絵や高野文子の漫画を思い出します。作家の切迫が、読者にとっては祈りや楽しみに落とし込まれる。いい意味で作家のにおいが抑えられた、確かな筆致です。 | ||
推薦者 | オカワダアキナ |