診断書を社長に出した時、社長は相変わらず渋い顔をしていた。 「今まで残業していたんだから、これからだってできないことはないでしょう? 月何時間くらいなら残業できる?」 「えっ……」 香純は短く迷って、答えた。 「二十時間です」 「たった二十時間の残業で、何ができるっていうの? 森本君や上原君は、二百時間残業してるんだよ」 森本君や上原君は、働き盛りの二十代じゃないか。 香純が言葉を返せなくて困っていると。 「早川君」 小野塚主任が、ずかずかと社長室に入ってきた。 どうして女性の香純に、「君」つけるんだろう。香純はいつものように思った。この主任はすぐ怒鳴るので、好きになれない。 「早川君は、この会社が男ばっかりだってわかってて入社しだんだろ。だから、女だからって甘えられると困るんだよ」 香純は立ち上がった。 「別に男だからとか女だからとかいう問題じゃないんです。私は病気だと診断されたんです」 「でも、全然元気そうじゃない」 香純は、どういえばこの人にわかってもらえるか考えていた。 小野塚主任はなおも言いつのる。 「みんな文句言わないで残業してるんだから、早川君もそうしてくれないかな」 「ですからそれはできません。今までだって何度も体壊してきました」 「それは、たるんでるからだ!」 小野塚主任は怒鳴った。 その言いぐさに、香純は切れた。 そして、言ってしまった。 「怒鳴れば何でも言うこと聞くと思って。結局は私が女だから馬鹿にしてるんじゃないですか」 「いい加減にしろ!」 小野塚主任は右手を振り上げ、香純の頬を叩いた。 「――!」 香純は、ぶたれた頬を押さえた。 どうして私が殴られるの? 病気だと殴られるの? 「……殴りましたね」 香純は、低い声で言った。 「暴力をふるいましたね」 「小野塚君、やりすぎだよ」 背後から社長が声をかけるが、小野塚主任が何か言う前に、香純は叫んでいた。 「こんな会社、辞めます!」 香純は社長室を出ると、誰にともなく言った。 「私、今日で辞めます。荷物は改めて取りに来ます。お世話になりました」 唖然として見守る同僚たちを残して、香純はハンドバッグ一つ持つと、事務所を出ていった。
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