なにもない。 ネルは初めて目にする大穴を前に、そう思った。 穴。ネルの足元で唐突に始まっている陥没は、干からびた褐色の側面を緩やかに湾曲させて、飛び込んだ人の足をあらぬ方向へ捻じ曲げてしまいそうな深さの底へ続いている。何も無い。穴の底には何も見えない。駆け足で空を上りつつある太陽は、穴を隅々まで照らし出しているが、ネルはそこに何の意味も見いだせていなかった。 穴は荒野の真ん中に存在していた。乾いた土と石がどこまでも続く荒れ地。細かな砂を含んだ風が吹き抜ける。風が運ぶ熱気を肌に感じた時、喉が渇いた、とネルは気づく。最後に水を見たのは確か、森の途中で見つけた川だった。水は丸一日、食べ物はここ数日一切口にしていない。 振り返る。地平線の一辺を覆う、黒々とした森。ネルが通り抜けてきた森だ。もう来るな、とも、早く戻ってこい、とも言っているように見える。けれどそれはネルにそう見えるだけで、森はただ森として黙りながら、同時にこの荒野を監視する門番の役割を果たしていた。 黒い森を見ていたのはネルだけでは無かった。 広がる大穴の向こう側、ちょうどネルと向き合うようにして、人が立っているのだ。 ネルは一歩あとずさろうとした。しかしあまりに突然で足が動かなかった。 「お前は、人か?」 人影は確かにネルに問いかけた。
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