出店者名 尼崎セレクト
タイトル 夏火
著者 キリチヒロ
価格 800円
ジャンル JUNE
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紹介文
三部作『blue』 第二部
3人のクラスは分かれ、入り込んでくる新しいひとたち。学校の中で、ひらいていく世界。
変わらないままでいたい僕、変わっていくことを恐れる君。武器もなく、今日も明日も世界が押し寄せる。
そして、今となっては形もなくなってしまった少女の、心の限りの願い事。
きらきら光る。夜。この夜。この夜空。

 先生に、この場所の前に集合と指定されるまで、生徒会室がこんなところにあるとは知らなかった。
 時間ぴったりに来たはずだったのに何故か自分が一番遅かった。すでに集合していた見知らぬ面々は、階段から下りてきた彼の姿を見るや、それぞれが思い思いの顔で驚いた。
 その表情の違いを見比べながら、陸は少しだけうんざりする。ここでも。すでに一年間をこの学校で過ごしてきて、少しだけ頭がよかったことと、少しだけ外見がよかったことで彼はすっかり有名人になってしまった。
 女子からの好奇の目、それでもなんとなく遠巻きにされているような空気(無愛想な自分のせいであることは彼にもきちんとわかっている)、そして成績面においてはつまらない奴らからのひがみ。
 気にも留めずにいたけれど、今では向こう側からの一方的な顔見知りだけが増え、そのたびに彼は何かに縛りつけられていく。そろそろ、喉元まで縛り付けられて息ができなくなってくる時期だ。
 生まれて十数年しか経っていない人間たちの世界の狭さ。些細なことでも、それがすべてなんだと簡単に信じ込んでしまう世界の浅さ。プールのような世界だと彼は思う。身長さえあればすんなり足はついてしまう。端から端まで泳ぎ切ることなんて簡単だ。だけど、落ちるように沈み込んで、ぶくぶくと周囲を見渡すとき、水色に塗りたくられた壁面は、まるで無限の向こう側を示唆しているように思える。きちんとついているはずの両足でさえ、水の浮力に邪魔されて覚束ない。
 息ができなくなるのは家の中だけで十分なのに。
 彼は自然と俯いて、ゆっくりと集団の中へと近づいた。視界の端で、ひとり、ふたりと数えていく。自分を含めて六人いた。きっとこの六人でおよそ半年、自分は生徒会というコミュニティの中で仕事をしていくのだろう。
 だけど、思い返せば思い返すほど、どうしてあのとき自分が「いいですけど」と引き受けてしまったのかが不思議になってくる。彼は心の中だけで首を傾げつづけていた。どうして自分が? 靴に雨が染み込んでくるような後悔の気配とともに、彼の心が重くなっていく。
 自分が階段を下りている間、確かに聞こえていた彼らの話し声はすっかり消えて、反対に自分が来たことで浮き上がってきた彼らの動揺が空気をふるわせ、そして彼にまで届く。彼は集団から一歩離れた場所で廊下の壁にもたれ、鼻だけでため息をついた。
 陸は心の中で煙草を吸う。この時間が一瞬で放課後まで飛んで、自分は自習室で勉強して、智尋の部活が終わるのを待ってはやくふたりで帰りたい。
「……なあなあ。お前さ、因幡だよな?」


苦しさの先にある光を思う
『ミニチュアガーデン・イン・ブルー』の続編。だけれど、雰囲気が異なる。
青い箱庭の中で育まれていた幻想的な雰囲気が薄れ、現実が押し寄せてくる。

高校生活、新しい人間関係、広がっていく世界、閉じたままではいられない自分。
それは成長していくことかもしれない。良い変化、と呼べるのかもしれない。
けれど、自ら変化を望んでも、変化を強いられても、受け入れても、苦しい。
好きな人のためになることをしたい、手を差し伸べたい、その思いを汲みとりたい、でも、そうなれない。自分のエゴに気付きながらも振り回される。感情ばかりが先走って言葉が行き詰まる。自分自身ですら、自分の気持ちがわからない、本当の気持ちがわからない。そんな苦しみを味わいながら、経験しながら、成長していく時間。
そして、そんな現実と隣合わせで、過去が揺らめく。
過去から逃れられないまま、振り回されながら、それでも、自分にかけられた願いのかけらを手にしていく。
いろんな苦しさを乗り越えて、生きていく。
未来なんて知らずに、ただひたすら、その時その時の精一杯で、今を生きている。
間違えたかもしれない、傷つけたかもしれない、どうにも取り返しがつかないかもしれない、それらを放り出すことなんてできずに、ただ抱えて、抱え続けて、必死にあがく。

とても苦しい物語だったと思う。
それだけに、苦しさを乗り越えた先にある輝きにほっとする。
終盤、苦しさを乗り越えた少年たちに明るさが戻ることが嬉しかった。
『夏火』では、物語の中のいろんなことが、苦しさが、すべて解決するわけではない。
けれど、彼らは彼らなりに、成長する。

生きていることを、命があることを、名前があることを、そこに込められた願いを、いろんなものを抱きしめたまま、物語は続く。
推薦者なな

生きることと死ぬこと、僕と世界、愛し合うこと
「ブルー三部作」第二作。
第一作「ミニチュアガーデン・イン・ブルー」の推薦文で
「これは戦いの序章」と書いた。
第二作「夏火」は、戦いだ。

三部作の二作目というのは難しいと思う。
起承転結でいえば承と転。
それ単体で物語を成り立たせようと思うとき、書くことがないのだ。
これはそのまま、高校二年生という中途半端な時期にも当てはまるかもしれない。
何処にも行けずに、ただ焼けつくような衝動だけが身体の中を蠢く。

「夏火」は、智尋と陸と椎名と、新たに登場する昴が
高校二年生を過ごす物語である。
誰しもが必死だった。
必死であるが故に自己ばかりが肥大し、相手を傷つける。
焦り、迷い、自分を責める。
ミニチュアガーデンではもっと簡単でよかった。
何処で間違ったのだろう。
犬のアレックスがいなくなったから?
陸が早苗に似てくるから?
分からない、ただもがくように、戦う。

三部作の中で、一番身を切るような切実さが表現に出た小説だと思う。
あるいは、小説ではないのかもしれない。
ただ魂の発露のようなものが、夏火であり、僕は愛おしいと思う。
推薦者にゃんしー

深い青で綴られる生と死と、好き
ブルー三部作とは
『ミニチュアガーデン・イン・ブルー』
『夏火』
『はばたく魚と海の果て』
の三冊で構成されるシリーズである。

男子高校生三人の、高校入学から卒業までが描かれた、純文学でジュブナイルでBLなお話。

そうやってカテゴライズしたけれども、そんな三言くらいでは表現できないのがこのブルー三部作だ。

海のある、狭い町での話で、世界は極めて狭い。
高校時代なんてそんなものだし、当たり前に思うかもしれない。
けれど、この物語はスノードームのように閉ざされた空間に粘度のある液体でどこにも気泡なんてないほどの密度がある。

本当は、逃げ場なんて探せばいくらでもあるのに、それを許さない。

どうにもならないことは、往々にしてあって。
分かってはいるけれど、涙を止められない。
ああ、もう、なんで? と無意味なことを思うこともある。

今まで読んできたものは、本当に物語でしかなかったのではないかとすら思った。
それが悪いわけでは断じてない。読み手は、それを求めているのだから。
だから、そう、リアルな理不尽さは、物語の甘さをすべて排除する。
ただ、凄惨なまでに青くて綺麗だ。

ジュブナイルにして「死」と「生きること」がどんなことか、刺すような痛みで見せてくる。

BLはこのテーマの中でおまけのようなものかもしれない。
けれども、なくてはならないものであるのも確かで「好き」という言葉に支えられている。そして、耽美的に綺麗でもある。

とにかく海の青のように綺麗としか、私の貧相な語彙力では言い表せないのが無念である。

ただただずっと、海の深いところを歩いているような暗さが続くような物語だけれども、
いつの間にか、その冷たい海に引きずり込まれるように飲み込まれて、夢中で地上を探している、そんな感覚を覚える。
地上を見つけて水面に顔を出した時のような最後は清々しい。
物語に終わりなんてない。地上を見つけても、そこからまた歩き出す。
そんな、新しく扉が開くような、最後を是非見てもらいたい。

きっと、青ではない表紙を改めて見つめることだろうと思う。
推薦者真乃晴花