出店者名 温室
タイトル 成就をちょうちょに結わえておしまい
著者 篠崎琴子
価格 300円
ジャンル 恋愛
ツイートする
紹介文
「少年少女」と「結婚」、そして「花」にまつわる短編集。
新書/32P/300円

「私のまぶたに背信を咲かせて」
 /咲かないさくらを育てて、十年。少女はさくらに懇願されて、樹木の子どもを身籠もった。

「イノセンス」
 /女子修道院で育った不遇の姫君はとうとう、少年公子と幸せな結婚をした。けれど彼女を祝う人々は、誰一人として知らない。まるで御伽噺のような幸いのかたわらには、いまも呪いが息づくことを。

「神様は、帰る場所にいる」
 /誰もいない家屋敷へとひとり帰省した青年は、庭にしつらえられた稲荷のたもとで赤子を拾う。……片恋に代えて、赤子を拾う。

 咲かないさくらを育てて、十年。晩春、その子を身籠もった。
 水のにおいに満ち満ちた枝を空に下げ、かの脆弱な樹《いつき》がどうしてもと乞《こ》うてきたためだ。
 彼の――わたしに子を願ってきたのだから、さくらは男子《おのこ》だったのだろう。うなだれながらも、おねがい、ここにいて、おねがいだからと乞うてきた彼の言葉に惑った時、わたしはようやく義務教育を終えようかという身の上だった。
 けれどわたしの叔母も、従姉も、さかのぼれば祖父の可愛がった姪も。みな、誰ぞ人ならぬ彼らに愛されて、早々手の届かぬところまで嫁入りをしていった家系である。
 末子《すえご》のわたしが子を得たことに、伯父らは胸をなでおろすだけだった。たとえ父など知れずとしたって、この土の上を生きる誰かの子を選んだならば、おまえはどこへも行かないのか、あのうつくしかった人たちのように。難儀な血脈の男たちは、そう言ってたいそう喜んだ。
 代々のねえさんたちとは違って、さくらの子を身籠もってなお、恋のひとつも憶えずにいたわたしは、ただ曖昧に視線を伏せるほかなかった。
 わたしが育てた、わたしのさくら。
 裏庭にたたずんで冬を越え、花もつけずに春を待ち、初夏にはわたしを樹上でまどろませた、秋にあってもしとやかに固い木肌を晒しては、景色に馴染みきるばかりの、弱々しいさくら。そんな頼りなさとは裏腹に、その芯には意志が育っているなどと、わたしの他には誰もしらない。
 翌春、まあたらしいセーラー服に身を包んで入学した高等学校には、しかし早々、休学の届けが出された。
 体を壊してしまった。血筋の持ちうる持病のようだ。全寮制のその学舎で、暮らしてゆくことおもわしくない、として。
 ……いつかうしなったちいさな従妹をわたしに重ねる大叔父は、医師としての矜持を保つよりもなお、きっと面影を偲んで診断書をしたためた。彼は家系を蝕む病というべき、その血を継ぐ女ことごとくを人ならぬものから欲せられる、御霊憑《みたまつ》きの余香《よこう》をいまもおそれている。わたしの家族たちは皆、いつぞやから家筋に継がれるのかもわからない、異域《いいき》との縁に翻弄されて続けている。