|
|||||||||||||||||
サワガニにかんしては騙された。海から一◯分ほど歩いた山のうえに父の別荘があり、海水浴のあとは水着のまま坂をのぼった。小二の夏だったと思う。父と手をつないで歩いていて、側溝に蟹がうずくまっているのを見つけた。青白い小さな蟹だ。すでに還暦を過ぎていた父の手は、血管がぼこぼこ浮いていた。透ける管は青く、押すとやわらかかった。 |
| ||
「水ギョーザとの交接」に繋がる「講和条約と踊らない叔父さん」 「ぎょくおん」のプロトタイプ、「飴と海鳴り」を含む全九編。 オカワダさんの作品世界を通じて感じる「心」と「身体」の距離のふわふわとした曖昧さ、「家族」の捉えた方、目の前を通り過ぎていくいくつもの景色を捉える言葉のセンスやユーモアが匂い立つような様々な気配と共に浮かび上がる本作は「小品集」の副題通り、ピアノソナタのようにポロポロと儚くおだやかに心に幾つもの音色を落としていく。 心と身体はいつだって引きちぎれてばらばらで、目の前に居る人どころか、自分自身にすら触れ方がよくわからない。 あやふやに揺らぐ中、それでも微かに気持ちが重なり合ったその瞬間はあったのかもしれない。 無力な子どもだった自分を引きずったまま、私たちはそれでもいつの間にか大人になっている。 傷は癒えなくとも、いつしかかさぶたになっていることに知らず知らずのうちに気づく。 あなたの心にわたしは触れられはしないけれど、痛みは少しずつゆっくり癒えていけばいいと、「祈る」ことなら出来る。 取り戻せないまますれ違っていくいくつもの感傷にぐらり、とちいさな引っ掻き傷が疼く。 それでもそれを見つめるまなざしはやさしさに満ち溢れている。それを携えたままでも歩いて行けるのだと、ささやかな祈りをささげてくれるように。 | ||
推薦者 | 高梨來 |
| ||
おかさんの作品に初めて触れた「講和条約と踊らない叔父さん」、ずっと読みたいと思っていた「飴と海鳴り」などが入っていてわくわくした。 一番好きなのは「ジュラ紀」 小六の日常にありそうな、日常とは少しズレたことを積み重ねることにより、一生忘れない美しい記憶が描き出されているようで、じんわり心打たれた。 「スイッチ・オフと苺ジャム」の次が「ジュラ紀」という並べ方も良い。「ジュラ紀」の主人公が「スイッチ・オフと苺ジャム」の登場人物の回復を祈っているようにも読めた。 短い話なので、とりあえず「ジュラ紀」を立ち読みしてみて欲しい。おかさんの作品が持つユーモアや、人間の本質をとらえる力、物語る技術の確かさを感じ取れると思う。 | ||
推薦者 | 柳屋文芸堂 |