投稿詩 on PQs! - 第2ラウンド-
5月31日開始〜6月6日零時〆切です。(投稿順・タイトルをクリック!)
「紅いリボン」 / 「問いに関連する7つの無」 / 「お父さんが邪魔してる」/
第2ラウンドへの投稿は以上の8作品でした。ありがとうございました。
第2ラウンドバトル成績速報!
20点 まりっこ 「間違い部屋」審査員コメントと得点分布
・まりっこ(5、4、4、3、2、2)
・にゃんしー(4、4、4、3、2、2)
・葉桜彰(5、3、3、3、3、1)
・田村飛鳥(4、4、3、3、2、1)
・やや(5、4、3、2、2、1)
・蛾兆ボルカ(5、3、3、2、2、1)
・待子あかね(4、3、2、2、2、2)
・キャベツかじり節(4、3、3、2、2、1)
お父さんが邪魔してる
愛してるの響きだけで
強くなれる気がしたのは
気のせいでした。
ちょっとスピッツ聞きすぎてました。
必要以上に。
恋心を音楽に乗せて、なんてふつう。
それよりも、誰もつけないような名前を
子供につけたい。
「山田卑弥呼」
家庭裁判所から書留で封筒が来た。
開けられない。
愛するってなんだろう。
ま○こから出てきたその瞬間から、
泣くのよりも前から考え続けてる。
愛されるのは夢のよう。
愛するのは自由の羽ばたき。
けれど。
子供を生むみたいにふんばって考えても
答えは言いそびれた言葉のように
身体の奥で温度をただただ冷ましてる。
愛してる、その言葉の代わりに響いてる。
2個目の心臓の鼓動。
ちょっと強くなれる気がした。
彼女はどんな答えを見つけるだろう。
それがどんな答えでも、お父さんは邪魔しない。
問いに関連する7つの無
何度も悟った
そのたび前の子を殺した
閃くたびに手放した手は何本にも
ねぇ、大切なものは、何?
例えば私は
無関係なものにはどこまでも
無関心になれる
無慈悲さを持っていて、けれども嗚呼
無情にも、それはどこまでいっても
無罪なのだ、でもだからといって
無垢であるわけでは
無い。
そう、薄汚れているのだ。
有罪と無罪の狭間で生きる。
良心と悪心のどちらも傷めている。
ねぇ、大切なものは、何?
──未完
紅いリボン
蝶々結びをしましょう
真っ赤なリボンでね
こんなに身体中リボンだらけになって
こんなに真っ赤 真っ赤になって
受け取り拒否はしないでくださいね
きちんと深夜にお届けしますから
ご希望の指定時刻にね
ラブレターもつけてあるから
要冷蔵です
間違っても そこらへんに
ぽいっとおいたりしないでください
冷蔵庫の中に入れてよ
自分で自分は結べないから
自分で自分を
真っ赤 真っ赤にできないから
彼女に手伝ってもらったの
紅いリボンで蝶々結びしましょ
彼女の提案よ
洒落てるでしょ
受け取って
真っ赤なままの
すべてを
夜空の月が眩しいのに
生の温度を感じるのは自分からだけなんて
全てを忘れる事もせずに
ただ雨粒に頬を打たせてみたが
肌が黄ばむばかり
部屋に入り洗濯物を取り入れるが
やはり濡れていた
翌朝の電車に雨粒が落ちる
中も外も梅雨の香りが漂い
女子高生の若き血潮と相殺される
薬指が疼く
体内の巡り方が変わっていく
炎が水になるような時代に生きる
細い路地を抜けて兎さんと戯れたい
冷たく光る今宵を今日も生きている
ルネサンス
河豚計画
【河豚計画(ふぐけいかく)とは、1930年代に日本で進められた、ユダヤ難民の移住計画である。1934年に鮎川義介の提唱により始まったとされ、1938年の五相会議で政府の方針として定まった。実務面では、陸軍大佐安江仙弘、海軍大佐犬塚惟重らが主導した。「河豚計画」の名は、1938年7月に行われた犬塚の演説に由来する。ユダヤ人の経済力や政治力を評価した犬塚は、「ユダヤ人の受け入れは日本にとって非常に有益だが、一歩間違えば破滅の引き金ともなりうる」と、考えた。犬塚はこの二面性を、美味だが猛毒を持つ河豚に擬えて、「これは河豚を料理するようなものだ」と語った。
(出典;フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より部分引用・一部改)】
私がいつかどうしてもやってみたいことの一つに、「電動シビレ河豚の使用」と、いうことがある。
他にももちろんいくつかやってみたい事はある。そのなかにはどうしても一度はやりたいことも少なくない。娘の花嫁衣裳を見てみたいとか、ドンペリを呑んでみたいとか、 家を建てたいとか、車が欲しいとか、ノルウェイに行きたいとか、 アグネスラムみたいな人と寝てみたいとか、いろいろあるわけだ。
そうだ。人生には欲望が付き物である。
やりたいことは年齢とともに変ってきたし、来年やりたいかどうかもわからない。
だがそのときには、「どうしても一度はそれをやりたい」、と願うものだ。
私の場合、少年時代はクワガタが欲しかった。ガールフレンドも欲しかった。
高校生の頃は才能が欲しかった。未来のビジョンが欲しかった。大学生の頃は世界への通路が欲しかった。
人類の末路が知りたかった。
色々あるわけです。
彼女が妊娠したら金が欲しかったし。家も、すくなくとも部屋が欲しかった。仕事も欲しかった。
だが本当にそれらは欲望だったか。と、私は疑わずにはいられない。いつか死を前に振り返るとき、
「俺は本当にそれがやりたかったのだ」
と、いえることが私の人生に幾つあるのだろうか。
でもいいや。きっとそれらは欲望だよ。
しかし、そうであるとしても、それら欲望の、いや、あらゆる欲望の河の底辺を(けして表面ではなく)、姿を隠し、静かに、静かに泳ぐある一つの美しい欲望があった。
それは小学生の高学年ぐらいからいたと思う。中学生のときも、高校生のときもそれはいた。大人になっても。それこそは純粋な、欲望としかいいえぬ欲望であったと思う。
それが「電動シビレ河豚」である。
私は書斎で深夜、一人でパソコンのキーボードを叩いている。
電動シビレ河豚は、今夜も私の魂の川の底を泳いでいく。
しずかに。しずかに。
私が何を書こうと。
私の指が何をしようと。
間違い部屋
浸して上下に揺さぶって
美しい皮を被る
どれが本物なのか
私には分からない
裂いて千切って放り込んで
醜い器を満たす
どこが狂ってしまったのか
私には分からない
粘着帯でも貼ってやろうか
此処は貴方の部屋で有り
貴方の部屋で無い
間違いなのです
瞼に付いた付睫毛は気にするくせに
他人の視線は御構い無しで
口元に付いた凝乳は気にするくせに
空気の匂いは御構い無しで
無表情な人々を乗せた部屋は
がたん ごとん
間違えた方向へ
進みます
帰り道
それぞれの詩の筆者に著作権は帰属します。
投稿詩 on PQs! 第2週