カマタまで文学だらけ
出店者名 キダサユリ
タイトル よるべのない物語
著者 キダサユリ
価格 300円
ジャンル 掌編
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紹介文
空中を落下し続ける正体不明の少女、突然身体にうろこが生えてきた少年、鶏に求婚された養鶏場の娘。
奇妙な運命を生きる者たちの、ちょっとさびしい物語集。

「落下」
「夜明けの鳥葬」
「突然変異の子どもたち」
「囚人とひまわり」
「ブロイラーの花嫁」
の全五編を自作の挿絵と共に収録。

「それじゃあ、行ってくるよ」
恰幅の良い雄鶏は、美しい妻マリーにキスをしました。
彼女には丈夫なくちばしもなければ、しなやかな羽毛もありませんでしたが、鶏はこの人間の新妻を深く愛していました。

純白のタキシードを着た鶏。それがマリーの前に現れた、一人目の求婚者でした。
マリーは彼のことを、まだほんの小さなひよこの頃から知っていました。つい数週間前まで親鳥の後を頼りなくついて回っていた彼が、今や異性にプロポーズをしている。その事実はマリーの心を強く打ちました。
(でも、よりによって人間のわたしを選ぶなんて!)
心優しい養鶏場の娘には、哀れな生き物の愛を踏みにじるような真似などとても出来ませんでした。
だから鶏がシロツメクサの指輪を差し出した時、罪悪感を覚えながらも、マリーはそれを快く受け取ったのでした。

(「ブロイラーの花嫁」より)


まじりあうこと
グロテスク

という言葉を聞くと日本人は「気持ち悪い」であるとか、
人によっては「スプラッタ要素」を思い浮かべる人が多いのではないだろうか。
だけど実はこの言葉、西洋美術史という観点から見るともう少し具体的な意味がある。

それは、「人間の体と動植物の形がまじりあった装飾様式」。

本来確固たる形を持った人間の体が、端のほうから蔦や獣の手足に侵食されていく。
自分がわけのわからないものになっていく。溶けだされていく。
そんな本能的な怖れであったり、嫌悪感であったり、そういう感覚だけが強く残り、
現在に至る「気持ち悪い」という意味に転じたのではないか。
と個人的にはぼんやり思っている。

本作「よるべのない物語」は、
そういう意味での「グロテスク」な作品だと紹介させていただきたい。
これはまったく、ディスりではないですよ、キダさん。

本作品は五つの掌編から成る短編集で、キダさんによる挿絵もついている。
それぞれの物語において、「何かとまじりあうこと」が描かれている。
夜という大きくて形のないものと、トカゲや鳥、花という生き物たちと、「自分」がまじりあっていく。
外側から染み込み、内側から溶けだしていく。
この本の中では、夜空や動植物たちは決して人間の背景ではなく、限りなく対等なものとして存在している。
畏敬の念すら感じさせるその在り方は、ひとえにキダさんが持つ、自然への深い愛そのものなのだろうと思う。

ちなみにキダさん、インスタレーション*のご経験もあるという。
インスタレーションにおいて迫ってくるのは空間そのものである。
そこでは「体験」が強制化される。
そこにいるだけで、自分も作品の一部であるかのような気までしてくる。
この「よるべのない物語」も、そんな力を持っている。
私がこの本を手に取ること、ページをめくること、この手の動き、
それも含めたすべてがキダさんの表現であるように思えてくる。
この本には空間を形作る力がある。
本という形をした、立派なインスタレーション作品だ。

そして私は、読者は、この本に取り込まれていく。
外側から染み込み、内側から溶けだしていく。しずかに、まじりあっていく。


*ある特定の室内や屋外などにオブジェや装置を置いて、
作家の意向に沿って空間を構成し変化・異化させ、
場所や空間全体を作品として体験させる芸術。(Wikipediaより)
推薦者キリチヒロ