どこまでいっても他人は他人、それゆえいとしい。
書籍名 贋オカマと他人の恋愛
作家名 柳田のり子
購入イベント 尼崎文学だらけ
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紹介文
(あらためて好きなところにふせんをはっていったら、ああここ、この一言、このせりふ、なにげないようなこの一行があとから刺さるんだよなあと、最初の一行からあとがきのさいごのさいごまで、すみずみまでがいとしかったです)

 好きだった子のことを思い出しました。文学部・院卒で、たいへん聡明で、きれいな子で、お金持ちでおしゃれで、お母さんと仲良しで、自分に自信があって小生意気、若さゆえの鋭さと視野の狭さによって傷つきやすく、どこかさみしがりの子。主人公の七瀬耕一くんに個人的な感傷を重ねてしまうのは本の感想ではないのでしょうが(そしてあまり誠実な読み方でもないのでしょうが)、フィクションによって思い出や記憶を刺激されるのは、やはり読書の喜びです。読む人によって想起されるものは異なるでしょう。その人にとっての、その人だけの、「いつか通り過ぎてきたいとしい時間」を重ねてしまいたくなるお話だと思います。
 どうしてだろう? 登場人物みんながそれぞれのいのちを生きていて、わたしたちはそれを束の間のぞいたような感覚だからかもしれません。物語の以前にも、先にも、かれらの生活はつづいてゆくようで。
 そうでした、わたしたちは人生でいろいろの人と出会い、多くはすれちがい、束の間に生を交わして行き過ぎてゆく。他人とは過客で、ままならず、それゆえいとしい。そんな生きてゆくことのかなしさと喜びとか、まるごと詰まった物語でした。

 耕一くんの置かれた状況はそう一般的ではないでしょう。でも、わかるなあ、そうなんだよなあ、とうなずいてしまう。語り口が心地よく、ぐいぐい惹きつけられます。華やかすぎる容姿とは裏腹に、静かに伝統文化の研究をしたかった彼ですが、大学院の学費を稼ぐためにニセモノのオカマとして働くことに。このお金がなくなってしまう経緯が面白かった。「今日から我が家は貧乏になります」とお母さんが宣言するシーンはのほほんとしていて笑いました。
 物語は耕一くんの大学時代〜30歳までが綴られます。ゲイの友人とその恋人のいざこざを始め、さまざな出来事に「巻き込まれた」とは言いつつ、関わり合おうとする彼がとても好きです(1ページ目、好きな作家は?ときかれて「琵琶法師」と答えるやりとりで一発ノックアウトでした)。
 尊大な態度で同年代の友だちのいなかった耕一くん。周平くんや克巳くんと過ごすうちに、「こんな風に友達と小説の話をするのは初めてかもしれない。なかなか面白いじゃないか」といったふうに心をひらいてゆきます。周平克巳カップルをつれて歌舞伎見物に行くシーンが好きです。互いが世界を広げあってゆくことのワクワク感っていいなあ。周平から江國香織の本を借りるシーンも好き。「出家」って…!そして耕一くんはお客さんの女性にほのかな恋のような感情もいだきます。けれども物語はそれでは済まなくて…。
 仲睦まじいと思っていた周平と克巳に亀裂が入り、あいだに立ってしまう耕一。そこから先はハラハラしたりしんみりしたりしながら読みました。p94、耕一くんが克巳くんにあのセリフを言えたことはたしかな達成です。ああ、でも…!それぞれがいやおうなく人生をすすめてゆかねばならず、人も風景もとどめることはできないということ。さいごの歌舞伎町のシーンでは思わず涙がこぼれてしまいました。

 恋人とか友だちとかお客とか、言ってしまえばそれだけでしょう。でもそれぞれ特別で、「勝手にしろ」、「世知辛いな」、といいつつ心は確かにふれあい、影響を及ぼしあう。タイトル通り、主人公と周囲の人間関係は「他人」です。みんな通り過ぎていく。でもその束の間に、苛立ち、触れ合い、思い合うことはやっぱり素敵なことなのだと思います。物語を通して、自分の身の回りがいとしくなる。生きてゆくことがかなしかったりさみしかったりする理由と、楽しかったりうれしかったりする理由は等しいようです。
 物語のエンドマークのあと、かれらがどうなったのか、どう生きてゆくのか、わたしたちは想像することしかできません。それは自分の人生を通り過ぎていった誰かのことをふと思い出す感覚に似ています。
 そんな痛みを含んだ物語が、明るいトーンでテンポよくえがかれていたのがとても嬉しかった。軽妙な会話やどこか滑稽な展開がとにかく面白く、何度も読み返しています。そうしてわたしたちは何度でも、「世界はあなたが考えるより滅茶苦茶で支離滅裂だから安心しなさい」というゆめこさんの言葉にうなずくのです。ああ人生って、面白いんだったな。生きてゆくことは、悪くないな。出会えてよかったです。書いてくだすってありがとうございました。


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