橙(ともる)はオフホワイトの薄手のモヘアニットに黒いレースを重ねたフレア スカートで鏡を覗き込んだ。パール調のロングネックレスを二重に巻き、その上 に淡い藤色のジャケットを羽織る。 今日は新規の顔合わせなので、比較的事務職感漂う服装を心がける。顧客とし てはすでに3年目になる漫画家の山形の後輩とのことで、業務内容が伝わってい る上でのプレゼンになるので安心感がある。橙は口コミ以外での営業をしていな い。小野寺元教授と竹内教授の準秘書業務があるので、こちらの仕事を広げすぎ るわけにもいかないのだ。 高校生の時分から要の手伝いをしていたため、小野寺絡みで昆虫関係の研究室 とずいぶん繋がりができた。外注スタッフ扱いで契約し、機材の手配や論文の英、 和訳、その他の細かい仕事を請ける。特に英訳は、研究生・教授レベルなら当然 本人達が精通しているが、ジャンルを絞って外注するのはなかなか難しい。専門 用語やラテン語表記が入ると翻訳ソフトは役立たずなため、慣れた人間がいれば そこへ頼みたくなるのは必然だろう。 おかげで純・文系なのに薬学系や行動科学用語に強くなった。人生はわからな い。 とはいえ、小野寺はとうに大学からは引退し趣味の世界にいるし、竹内には話 で聞いた小野寺の現役時代のような潤沢な予算は存在しない。橙は日本が裕福だ った時代を知らない。四六時中ついて回る本来の秘書業務に専任できるほどの支 払いはお互い見込めない。それにそもそも、要第一で動く橙に、他者の専従職は 無理だった。そして要の専従業だけでは共倒れの収入ベースである。求められる 能力を追及していった結果、今では要とはまったく別の仕事をしている。 (だからこそ逆に、私みたいな隙間産業仕事屋が生き残れてるんだけど) 今日は締結に至れば4人目の漫画家だ。デビュー2作目が当たり、そこそこの 収入が急に入るようになり、しかし明日の保証はどこにもない、戦える時間はす べて作品につぎこみたい。そんな状況の補助だ。こんな仕事の回し方でもう5年 以上続いている。人の縁はありがたいものだ。
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