尼崎文学だらけ
ブース 純文学A
白昼社
タイトル 夏の前、子どもの集会
著者 泉由良
価格 630円
カテゴリ 純文学
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紹介文
5年前に恋人を亡くしたピアノ教師の都萌は、気が付けば記憶のなかで生きている。
彼が誕生日にくれた詩集の言葉、「真実の夏」

ある日、ピアノの教え子なかのひとり、ゆきえが行方不明になり、
5年前に帰ってこなかった恋人を思い出して彷徨う都萌と、
明け方に集まってきた都萌の教え子たち。
彼らは記憶を巡る旅に出る。
真実の夏を過ごすために。

泉由良処女作。

 ひとつめの記憶。
 私は部屋の中にうずくまっている。明かりのついていない部屋の中だ。外は雨。
 それはたぶんいつ如何なる時の記憶でもない。と同時にこの部屋が、すべての原風景である。
 電話が鳴リ出す。が、私は取らない。硬く、まるで自分を守ろうとするかのように硬く、膝と肩を抱き締めて動かない。脅迫的だな、電話の音って。
 私は目を閉じたまま、世界中で鳴り響いているであろう、その音のことを想う。ぴかぴかした高層ビルの受付にある電話、地下鉄駅構内によっつ並んだ公衆電話、駄菓子屋の隅っこにあるピンク電話。世界中の、すべての電話が雨の中しゃらしゃらと鳴り続けている。誰かを呼ぶために。誰かを……。
 でも何処にもその電話に出る人はいない。
 何故ならこの世界には誰ひとりいないのだから。
 みんな何処かにいってしまったのだ。ここはそう云う世界なのだ。この星が球だなんてうそ、きっと端にいくほど滑り落ち易い形をしているはずだ。

 考えると怖くなって絶対にまともに生きてはいけないから、何も考えないようにしているけれど、些細なきっかけで私はあの部屋に舞い戻るだろう。例えば一本の電話で。例えば……。



 その日は金曜日で、金曜日の最後のレッスンはゆきえちゃんだった。