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タイトル グロリア・リリィの庭
著者 世津路 章
価格 300円
カテゴリ 大衆小説
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紹介文
「“王子様”は“お姫様”の前で泣くことが出来ない。
だって“王子様”は完全で、無敵で、すべてを護るものでないといけないから。
だから、わたしは“王子様”が泣くことができる、その居場所になる――」

自身の内面を隠匿し続けてきた女子高生・鮎川砂奈は、
《グロリア・リリィ》と揶揄される同級生、立花優理のある秘密を知る。

優理の歪な実態に翻弄されながらもカメラを手にし、彼女の裸体をファインダーに収め続ける砂奈。

誰からも忘れられた旧校舎で重ねられるふたりの逢瀬のその先に、
待つのは破綻か諦観か、それとも――。

これは“王子様”も“お姫様”もいない、その庭の秘め事。

 この時も、一瞬悲しげに眼を伏せただけで、優理は結局砂奈に従った。体を右に傾け、腕を背に回しブラジャーのホックを外す。浮いたカップの下に潜らせた手のひらを鎖骨の辺りまで上らせれば、小ぶりだが張りのある乳房が姿を見せた。すかさずそれを、砂奈のカメラが収める。
(何が“王子様”よ…単に金ヅル手放したくないだけでしょ? バカじゃないの、こいつ)
 そういう侮りが沸々と胸にたぎる。だが、こうまでして守りたい金ヅルとはどれほどのものなのか――その疑問が砂奈の口を開かせた。
「ねぇ、あんた今までにどんぐらい稼いだの?」
「え?」
「“王子様”からどんだけ金もらったかって聞いてるの」
 パチパチと優理は目を瞬かせた。ここにきてようやく、眠気が醒めたようだった。
 でも優理が次に浮かべたのはやっぱり、何を言っているのかわからない子どもに向けるようなあの笑みだった。
「もらったことないよ」
「は? ああ、現物支給ってわけ? ブランドもんとか…あ、ひょっとしてマンションだったりして」
 自分で言いながら傑作だと、砂奈は品の悪い笑いを立てた。
 だが対する優理は、凪いだ湖面のような穏やかさで頭を振った。
「“王子様”から何かをもらったことは、一度もないよ」
「……は? いや、ありえないでしょ」
 乾いた笑いを含んだ砂奈の言葉は、少し強さを増した雨の音に消え入った。
 優理が視線を、天井に向ける。
 そしてどこか遠い昔を眺めるように、

「“王子様”は、いつもかわいそう」

 そう言う。

「大事なものを護るために闘って、血を流して、やっとのことで家に帰っても、さらにその次を望まれてばかり」
雨の音は大きいはずなのに、優理の言葉は砂奈の耳にいやに明瞭に響く。
 優理は薄い唇を、閉じずに、ただ淡々と続ける。
「でも“お姫様”の前で“王子様”は泣くことが出来ない。辛いって、言うこともできない。だって“王子様”は完全で、無敵で、全てを護る者でないといけないから。だから私は、“王子様”が泣くことのできる、その居場所になる――」
 それきり、優理は口を噤んだ。
 少しの間、庭の中には雨の音と、肌にねばりつくような湿気が充満するばかりになった。
「…何、それ。なんかの小説?」
皮肉を喉にひっかけながら、何とか砂奈は口にした。
 その言葉にゆっくりと、優理は砂奈へと視線を移した。

 笑っている。

(ああ――この女、頭おかしいんだ)


”王子様”がいなくても、彼女がいる
”王子様”がいらない女の子と、”王子様”を守りたい女の子。
どっちも”お姫様”になれない女の子が出会い、秘密の逢瀬を重ねる。
息苦しくなるほどの不安感と、『正しい』とされている世界とのすれ違い。
その中で、彼女達が出会うロータリーや過ごす庭の描写がまた、美しく話を盛り上げます。
ラストで気持ちをぶつける彼女が愛おしく、戻ってきてくれた彼女と共に、もしこの先、紆余曲折があっても、二人の作る新しい庭は、明るく美しいのだろうと感じました。
推薦者いぐあな
推薦ポイント表現・描写が好き

硬派な現代百合文学
これだけ、思春期の少女たちの心を丁寧に描写できている物語があるだろうか。
しかも「社会に向いてないな」と感じている思春期の子供の心情を、こんなに丁寧に描いている。学生特有の正義感、その集団の中で生活する息苦しさ。
そこで見つけた一輪の花(と表現したい)の受けている現実に直面して、主人公の砂奈の気持ちが変化する。
百合だけど、イチャイチャラブラブの百合ファンタジーというより、どちらかといえば硬派な百合文学。オススメです。
推薦者服部匠
推薦ポイント物語・構成が好き

静穏にふるまいながら、胸の奥底に溶岩のような渇望を湛えた少女たちの物語。
『王子様』にも『お姫様』にもなれない。そうならなきゃいけないと誰もが言うのに、自分はなれない――。
世界からの拒絶に遭い、本当の自分を見て受け入れて、そう叫ぶ勇気は削がれて、本当の気持ちを守るために、自分を偽った姿を人に見せ続けてきた。


他人と距離を取り、なにごともドライに割り切ってさめた心で日々を過ごす砂奈。
不思議な魅力を持ちながら、見た目の美しさで同級生の嫉妬を買い、校内でも浮いた存在の優理。
ある日砂奈はクラスメートの優理が男とホテルに入って行くところを目撃し、その姿をカメラに収める。

砂奈は優理の弱みを握ったことで優位な立場を得たと思い、自分が見たことを広められたくなければ自分の前で服を脱げと脅すが、優理はどうでもいいことのようにためらいなく砂奈に裸身を晒す。
そんな優理の裸を砂奈は写真に収め続ける。

自分のことに執着を持たない優理が言う。「私は、”王子様”が泣く場所になる」と。
そんな優理の体に日増しに増えてゆく傷。それは彼女の言う「王子様」の仕業に他ならず。そのことに憤りを覚える砂奈。

今まで大して何事にも興味を持たなかった筈の砂奈が、優理に執着し、彼女を追い詰め傷つけたいと希む。歪んだ執着、それ自体は愛情でも何でもない。その筈だったが、やがて彼女に向かう感情は堰が切れ決壊する。


少女たちが抱く、自己存在に対する不安。
砂奈の、他者を必要としない乾いた距離感と、
優理の、求められただけ無限に与え続けようとする距離感、
それはどちらも等しく、求める方向を間違えた、強い愛情への渇望。
求めた愛は、本当の私を見て、知って、その上で受け入れて、という願い。

「私たちはこの世界の中に、私たちだけの庭を創っていかなくちゃいけない」
ふたりの逢瀬、その記憶が刻まれた庭は壊されて、王子様もお姫様もいない世界に、砂奈と優理は戻ってくる。痛みの果てに。

灰色に乾いていた少女たちの世界が、ふたたび色と光に彩られる。
それはまるで、大地に落ちた種が、重たく積もる雪の下、固い殻の中で長く厳しい冬を耐え、漸く春を迎えて芽吹く瞬間を見たようだった。
少女たちの感情が蘇るそのさまに、胸が締め付けられる。
おそらく成長の過程で多くの人が通る、または見かける道。懐かしさと愛おしさに涙が出る、そんな作品でした。
推薦者桜沢 麗奈
推薦ポイント物語・構成が好き