「ふぅ……」 水無月(みなづき)になり、数日が経った。照りつける日差しはじりじりと強く、肌が焼けるように痛い。ついこの間までは、島に吹き渡る風は涼やかだったというのに。 那津(なつ)は、首筋に滲む汗を袖口で拭って息を吐いた。一息入れようと、山道の岩に腰を下ろす。 山道の傍に繁るネムノキの花が愛らしく、那津は顔をほころばせた。菜入りの握り飯をかじり、竹筒に入れた水を飲むと、疲れた体に再び気合いが湧いてくる。 今日は朝から澄みきった空が広がり、雲ひとつない。こんな日は、大島の中央にそびえる御嶽山(みたけさん)の頂から沖ノ島(おきのしま)を遥拝することが出来るのだ。 那津(なつ)は大島で暮らす、十三歳の少女だ。大島は筑紫(つくし)の国・宗像(むなかた)の湊(みなと)から十里ほど離れた沖に浮かぶ小さな島である。 細い山道を登り山の頂上にたどり着くと、那津は白い歯を見せて笑った。 「うわぁ……。やっぱりここからの眺めは最高だわ」 那津は歓声をあげた。小指の爪先ほどの大きさだが、沖ノ島が見えたのだ。 沖ノ島は、大島よりさらに北に百里ほどの距離にある島で、宗像三女神の長女・田心姫神(たごりひめのかみ)が祀られる神域である。古代より神の島と崇められ、二百年ほど前までは沖ノ島で盛んに祭祀が行われ、金の指輪や銅鏡、勾玉に機織り機などを奉納していたらしい。 那津が暮らす大島に鎮座する中津宮(なかつみや)には次女・湍津姫神(たぎつひめのかみ)、本土宗像辺津宮(へつみや)には三女・市杵島姫神(いちきしまひめのかみ)が祀られている。 西の沖合には、博多津へ向かうであろう大船が見える。大陸へ渡る朝廷の遣いが絶って二百年以上が経とうとしているが、私的な交易は今なお盛んで、博多津は宋との交易で栄える大都市なのだ。 博多津から都へ交易の品々を運ぶ船が、大島に立ち寄る。大島の湊にはこの国の船だけではなく、赤い異国の船もたくさん繋留されており、人夫たちの唐(から)ことばがにぎやかに響く。宋の銭や絹織物、絵画や書籍、硯など、異国の品々を前に取引をする男たちの声が楽しげだ。 湊には干された魚や貝の濃い潮の香りが漂い、炊(かし)き屋(や)で人夫や水夫(かこ)たちに振る舞われる粥はねっとりと重たげで美味そうだ。女たちはキビキビと働き、湊は活気に満ちていた。
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