【サンプル1】「罠にかかった少女」 ギュスターヴ・クールベの「罠にかかった狐」という名画がある。狐が前足を罠に挟まれた様子を描いている。この罠はトラバサミと呼ばれている。鉄製の半円状の輪っかを地中に埋め、かかった獲物をガッチリとつかむ。間違って人間の脚が挟まれると骨折するほどの力がある。クールベの絵画では狐は悲痛な顔で暴れ、助けを求めるように鑑賞者へ訴えかけてくる。サディスティックな作品である。 人には逃れられない罠がある。ヴィンセントの人生もガッチリと罠に心を掴まれていた。それが殺し屋の仕事である。何十人と殺し、肉屋のゴミ溜めに捨てられた臓物のようになった屍体を見てきた。人命を奪う仕事が楽しいわけはない。が、足を洗えるとは思えなかった。これは才に恵まれたものの特別な仕事だ。 ミミ嬢を見たときに、彼女の脚にもこの罠をはめてやりたいと思った。彼女は十二歳。大富豪の家に生まれ、何度も誘拐されかけた経歴を持つ筋金入りの令嬢である。透かしの入ったレモン色のサマードレスはよく似合う。しかし、子どもらしい生気はなく黙り込んで暗い瞳をしていた。
ここに来る道中の車で、相棒のエリオからミミ嬢について教え込まれていた。 「お嬢様は嘘を見抜く能力があるんだってさ。そのせいで十二歳にして人間不信だ。かわいそうな子なんだから、お前は余計なことを言うなよ」 ツルツルに剃ったハゲ頭を撫でながらエリオは言った。スキンヘッドに黒のサングラスをかけ、アルマーニの上等なブラックスーツを身につけている。懐には殺し屋御用達のベレッタM九二。人頭を粉砕する破壊力を持つ銃だ。彼の自慢の車は一九七四年製のフィアット一二四スパイダーで、唸りを上げて砂埃を舞わせて走り抜ける。イタリアブランドをこよなく愛する古式ゆかしい殺し屋である。その割にエリオは本ばかり読んでインテリぶるのが好きだった。 ヴィンセントはミミ嬢の話を聞かされ、「なんだよ、超能力か?」とつぶやきながらばらしたガラムをキセルに詰める。 「〈殺してばかりの人生〉と〈殺されるばかりの人生〉は、どっちがマシなんだろうな」
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